数々の武勲をたてた土岐頼遠は、光厳上皇の牛車に矢を射たことで、足利直義に処刑されました。
暦応5年・康永元年/興国3年(1342年)年表
2/5 | 高師直奉書。病床中の足利直義の見舞い禁止する。 ※足利直義と高師直の不和の兆候として挙げている論もあるが、戦争でもないのに武士が大勢京都に集結したら混乱を招くだけとの判断ではないだろうかとも考えられる。 ※高師直自身も前月に面会謝絶となるほどの重病を患う。 ♨良かれと思って見舞いに来たら、ウイルスも大勢持ち込まれますもんね…。もっとも、当時はそうした知識はなかったのかも知れませんが…。 |
4/27 | 北朝、康永に改元 ※疫病のため ※この年は、西国で長期間の干ばつ(雨が降らない)が発生。 |
5/ | 小山朝氏、北畠親房のもとに近衛経忠の密使が来たとされる |
5/ | 懐良親王、薩摩に着岸 ※当時まだ13歳頃。 ※五条頼元らの補佐で伊予で過ごしていたが、南朝再興という本来の目的を果たすべく九州へ。 |
6/25 | 脇屋義助、死去 中国・四国方面の総大将に任命されて四国に渡り、伊予の土居氏・得能氏を指導し、一時は勢力をふるっていたが、伊予国府で突如発病し、そのまま病没した。享年38。墓所は倉吉打吹の大蓮寺。 |
8/ | 天龍寺船、渡元 ※後醍醐天皇を弔うための天龍寺を造営すべく、貿易船が元へ派遣された。 ※夢窓疎石のアイデアでもある。夢窓疎石はその後、天龍寺の開山となる。 |
9/6 | 土岐頼遠、光厳上皇の車を射る ※土岐頼遠と光厳上皇の牛車が鉢合わせ。 ※「院と言うか?犬と言うか?犬ならば射ておけ」と言って、上皇の牛車に乱暴を働く。 ※この事件を知った足利直義が激怒。 ※土岐頼遠ら婆娑羅大名は旧来の秩序への敵愾心が強かったが、足利直義は権威を重んじるタイプであった。 |
12/1 | 土岐頼遠、斬首 |
12/23 | 尊氏・直義の母、上杉清子、73歳で没 |
-/ | 五山十刹(ござんじゅっさつ)の制が定められる ※臨済宗寺院の「格付け」。 |
あぁ?向かいから来るのは光厳上皇の牛車か?
うちらが戦ったおかげで今の地位があるのに、道も避けないとは舐めた野郎ですなー。
う、何か嫌な予感がする…
頼遠さまは酒飲んでるし…
おい!
そこの中のもの!
お前は院というか、犬というか?
なんだなんだ、あれは土岐頼遠か?
うっせぇ、犬なら射てしまえ!
うぃっすー。
おりゃーーーー。
お、おい、何するんだ、わわわ!
はーはっはっは、おもしれー。
ひっくり返ってやがる。
俺様のダジャレもどうだ!
あわわわ、やっちまった…
頼遠、お前、自分のやったことわかってる?
死刑だ、死刑。
クソ、なんで犬のために死ななあかんねん!
奇しくも同じ年に死ぬことになるとはな。
それより天龍寺船が楽しみだな。
その利益で天龍寺を建てて、仏教の力で国をまとめるんだ!
あー、直義ちゃん、そううまくいくかいな。
頼遠くん、殺されちゃったの?
戦も強いし、なかなか男気あっていいヤツだったけどな。
皆さん、僕のこと覚えてますか…?
後醍醐天皇皇子の兼良(かねよし)です。
伊予国でのんびり暮らしてましたが、
本来の目的を果たすべく、九州へ到着しました。
この地を、南朝のものにしたいと思います!
Toki Yoritoo, a man of many military achievements, was executed by Ashikaga Tadayoshi for shooting an arrow into Emperor Kogon’s oxcart.