~「もう一つ上の日本史」出版に伴い、勉強方法も変える必要が出たので、全面改訂突入します~

打線の特徴としては「DQNな核弾頭」+「強力クリーンナップ」。

そして、「6番打者の大失敗」を「9番エース」が挽回する構図。

自作とはいえ意外と試験で役立った。

平氏との違いとして「直系」で打線を組めてしまうところがすごい。

オーダー

1右 源経基
2中 源満仲
3捕 源頼信
4三 源頼義
5遊 源義家
6左 源義親
7一 源為義
8二 源義朝
9投 源頼朝

【覚え方】

まず、「ケーキの 真ん中」という語呂を活用。これで、1、2番が決定。

1.経基
2.満仲

続く強力クリーンナップであるが、5番の義家は有名なので、まず5番義家を書き込む。

1.経基
2.満仲
3.
4.
5.義家

3番4番は源氏の代表的な名前である「頼」を縦に書き、

続いて、「信」・「義」と縦に書く。

「信」・「義」を忘れたとしたら、5番義家から4番頼義を導くか、「クリーンナップ」→「信頼のクリーンナップ」から3番頼信を思い出す。

3.頼信
4.頼義
5.義家

このあたりは、口で覚えにくいので、文字で覚えたい。

続いて9番エース頼朝を書き込む。

1.経基
2.満仲
3.頼信
4.頼義
5.義家
6.
7.
8.
9.頼朝

そして、頼朝から「朝」をとって、発音が似ている8番「義朝」、その8番義朝から「義」をとって、7番為義。

7.為義
8.義朝
9.頼朝

残った6番は親は「親」不孝者。親=義家なので、義親。

6.義親

これで源氏直系打線が完成である。

1.経基
2.満仲
3.頼信
4.頼義
5.義家
6.義親
7.為義
8.義朝
9.頼朝

さて、実際の人物評。

【右】 経基

「939年、藤原純友の乱を平定した」と書かれることもあるが、

どうも大した活躍はしてはいない。

さらには、とんでもない受領で将門の乱の一因にもなったのだが、

将門にはビビリまくり。

「源氏の祖」というネーミングはあまりふさわしくない。

【中】 満仲

969年、安和の変で源高明を失脚させるなど

藤原家に貢献。

もともと源氏は藤原氏の私兵、と考えておくとこの件はわかりやすい。一方、「平氏」は「天皇の私兵」。

【捕】 頼信

1028年、甲斐の国司に任じられ、下総で起きた

1031年の平忠常の乱を平定

(というよりは無傷で忠常が降参)。道長に仕える。

「マンガ日本の歴史」より。

源頼信についてはコチラも

【三】 頼義

紆余曲折あるも、1051年、前9年の役で安倍氏を滅ぼす。安部頼良は頼義に配慮して名前を変えるほど。

勇決群を抜き,才気世を被う

との評も。鶴岡八幡宮が源氏の氏神となったのは彼の代から。

「マンガ日本の歴史」より

前九年合戦(ホントは12年:コチラも

【遊】 義家

「八幡太郎」の名で有名。1083年、後3年の役で清原氏の内紛に介入した。

白河上皇の陰謀

もあり恩賞はなかったが東国武士団との関係は強固に(※これにはそれほど東国武士が参加していなかったなど諸説あり)。

のち白河上皇の方針転換で院昇殿を許されるほど昇進。

「マンガ日本の歴史」より。

後三年合戦はかなり複雑な経過をたどる。古代史講義戦乱篇はコチラ

【左】 義親

1107年、源義親の乱をおこす、

とんでもない暴れん坊。

最終的に平正盛に討たれ、以後平家優勢になった。義家死後の源氏は内紛もあり弱体した。

【一】 為義

摂関家と結びつくも、

1156年の保元の乱で死す。

【二】 義朝

相模を拠点に東国武士とつながりを深めるも、

1159年の平治の乱で死す。

38歳。

【投】 頼朝

ご存知、鎌倉幕府初代初代征夷大将軍。

数ある「棟梁」候補の中からなぜ頼朝が選ばれたのかと言えば、彼の血統が良かったからではなく、

彼がもっとも武士の願いを聞いてくれそう

であったからである。

義経や北条政子の方が人気はあるかも知れないが、この人のことはもっと評価しても良いのではないか。徳川家康も頼朝のことはよく研究した。