~「もう一つ上の日本史」出版に伴い、勉強方法も変える必要が出たので、全面改訂突入します~

学術用語では「承平・天慶の乱」と言うらしい。(実際に乱がおきたのは天慶年間であったから最近はさらに「天慶の乱」だけになっている)

930年代、東で平将門、西で藤原純友が挙兵した。

これを中央ではなく「地方武士」が鎮圧したということが日本史のポイントの1つでもある。

この乱の中央への影響は「大した影響はなかった」という説もあるが、どうだろう。

ただ、当時、国司や国衙が襲われるということは決して珍しいことではなかった。

将門が彼らと違うことは「新皇」を名乗ってしまったことだ。(のちの頼朝は将門の失敗をよく学習している。)

「武士」の地位が向上するのはまだまだ先、中央では国風文化真っ盛り。

ちょっと意外かも知れないが、紀貫之、空也は将門、純友らと同時代人。

世界史的に見ると、この乱は大唐帝国の滅亡による東アジアの動乱と関係している。

体外的な圧力がなくなったために国内が弛緩していたこと、 醍醐天皇・朱雀天皇&藤原忠平の時代に 国司が徴税を請け負うと言う「国衙支配の強化」が推進されたことで、東西の辺境で「伝統勢力(郡司)」の力が結集したことは理解しておきたい。

どちらの乱も「軍事貴族の末裔」どうしの争いなのであり、そのあたりはやはり桃崎有一郎先生の『武士の起源を解きあかす』をオススメしたい。

第61代:朱雀天皇期(930年~946年)

【朱雀天皇】…在930~946年。醍醐天皇第11皇子。8歳で皇位に就き、24歳で村上天皇に譲位。30歳で死亡。(儚い・・・)

930病床の醍醐天皇が譲位、朱雀天皇が即位。藤原忠平に摂政を託す。(その7日後に醍醐天皇死亡)
931平将門、伯父・良兼らと合戦。
935 平将門、源護らと合戦。伯父の国香を殺害。護、将門、京に召還。

ちなみにこの一件の火種は源経基

紀貫之「土佐日記」もこの頃。
936この頃、藤原純友ら海賊が伊予国日振島に集まる。

紀淑人を伊予守として純友追捕を命じる。
938将門が千曲川で平貞盛を破る。

都で空也(こうや)が念仏を広める。
939
将門、都で藤原忠平に無実の弁明を行う。

将門、常陸、下野、上野の国府を攻略し、新皇を称する

藤原純友の乱(~941)
940 朝議にて、藤原純友の要求は呑んで、先に平将門の乱を平定することが決定。

摂政藤原忠平は藤原忠文(68歳)を征東大将軍に任命し、鎮圧の為に派遣するも、先に地方武士の藤原秀郷(奥州藤原氏の祖)、平貞盛(国香の息子)により将門が成敗される

藤原純友は乱を辞めたかったが、仲間たちは辞める気配がなし。最終的に仲間をとったが、今度はその仲間が官位をちらつかせられ寝返る。
941藤原純友、大宰府占領。

小野好古、純友を筑前博多津で破る

藤原純友、伊予国日振島で橘遠保に殺害される
946朱雀天皇が譲位し、成明親王(村上天皇)が即位する。

桓武平氏は関東から伊勢国に拠点を移し、海賊勢力を手なずけていく。この伊勢平氏の子孫が平清盛である

平氏で打線を組んだ:コチラ

源氏で打線を組んだ:コチラ

♨平安時代における関東地方の歴史は日本史教科書からはほとんど記載されない。しかし、面白そうだ。

日本史は近畿有利?

平将門の乱

石ノ森章太郎「マンガ 日本の歴史10」より。【コチラも

横暴な国司を倒すことで支持を得た将門だが、「新皇」を名乗ったのはやりすぎだったか?日本史的意義は、武士の反乱が武士によって征討されたことと、乱の平定以降、源氏が関東で勢力を拡大し、平氏は伊勢国に拠点を移し、海賊勢力を手なずけていったことである。

【平将門】…903~940年。平高望の息子の5人兄弟の中で、将門の父・良持が早逝。本来、その遺産は長男の将門に与えられるはずが叔父の国香、良兼、良正の3人(ともに源護の婿)が、遺産を奪おうと企み、争いの火種が1つ生まれた

さらに将門は良廉の娘を妻としたがこれに良兼が反対。

935年、源護&国香が将門を倒そうとするが、返り討ち(国香は死亡)。

936年、復讐に燃える良兼、良正も返り討ち。裁判でも勝利を勝ち取る。

938年、良兼死亡。

これで完全勝利に見えたが、将門は、のちの関東における受領と郡司の争いを収めようと興世王、源経基、武蔵武芝を招いて酒宴を催す。

この宴の中で、武蔵武芝側(反受領勢力)の過激派の人々が、宴の中で源経基を殺害しようとした。(結果は失敗)。

源経基は酒宴の場を設定した将門を首謀者と勘違いし、将門は訴えられた。

939年、次は常陸国で次は土地所有者と受領の間で争いが起こる。

結果として受領をやっつけ、これにより関東地方で英雄に。関東一円をおさめて「新皇」を名乗った。

「将門はいつも単純だ」

桃崎有一郎「武士の起源を解きあかす」←是非、買って損なし!

「あらゆる手段で王臣家が地方社会に築き上げたのは、地域の至高の紛争裁定者の地位だった。(中略)将門も実践したら、結果的に大乱になってしまったのである。」

桃崎有一郎「武士の起源を解きあかす」

940年2月、将門は春の収穫に備えて、兵をそれぞれの地元に帰国させるが、このタイミングを狙っていたかのように平貞盛と藤原秀郷は、将門を討伐に向かい、人数に劣る将門軍は敗退。将門は流れ矢に当たり討死となった。

「むしろ、国香の子の貞盛は、将門との戦いを貫徹する意思がないと繰り返し表明した。」

桃崎有一郎「武士の起源を解きあかす」

平貞盛は父の敵討ちに燃えているようにイメージされることが多いかもしれないが、そうではなかったのだ。

それでも再対決せねばならなかったのは源護の婿代表としての責任からだ。そうしなければ、土地に馴染めなかったから。桃崎先生の書籍はやはり面白い。

平将門は偶然ではない!東アジアの騒乱とリンクしている。茂木誠先生の「超日本史」中編はコチラ

★ちなみに国香は清盛の先祖。

【☞平氏で打線を組んだ

♨関東一円ほどの勢力を持ちながら、将門一代、それも将門死後はあっけなく終わったということがちょっと不思議にも思う。もし民衆を巻き込んでいたら話は変わったのかもしれないが、時代はそこまで進んでいない。

♨68歳の藤原忠文が征東将軍に任命されたというが、任命したのは藤原忠平。冷静に考えれば、本気ならもっと精鋭を送るのではないだろうか?というのもちょっと疑問。精鋭がいなかったのかどうか。

将門が新皇となったのは滅ぼされた渤海国を助けるためという話も:コチラ

【平将門首伝説逸話】

★平将門の首には怨念が込められていて、力が宿っているとされている。将門の首塚をGHQが掘り起こそうとしたらブルドーザーが倒れて運転手(日本人)が死亡した。

藤原純友の乱

一言で言えば、「ミイラとりがミイラに」。伊予の海賊とは遣唐使廃止でリストラされた公務員たちであった。

【藤原純友】…もともとは藤原北家の出身で、父について海賊退治を行っていた。しかし、父の早逝によりエリート街道から外れる。その後は伊予守の叔父について海賊退治を行っていた。しかし、新たに赴任した紀淑人は海賊たちを懐柔。手柄を横取りされた形となり、正当な褒賞を求めて暴れまくる(!)。

朝廷は官位を与えるも(主に部下が)聞かず、最終的に(源経基?)、小野好古、橘遠保らにより征伐された。

※一時は大宰府も陥落。

伊予の海賊とは遣唐使廃止によりリストラされた公務員たちであった

↓超日本史より

★藤原純友の乱を平定したのは伊予国の豪族、橘遠保。「伊予水軍」と呼ばれる「海の武士団」の統率者。伊予水軍の本拠地は広島と愛媛県の間の芸予諸島。ここは戦国時代における村上水軍の拠点でもあり、明治期には江田島海軍兵学校が設立された。

【橘遠保】…?-944年。平将門の乱での防戦で功をたてる。のち、伊予警固使として瀬戸内海で乱をおこした藤原純友を討ちとり、伊予宇和郡をあたえられた。帰宅途中に斬殺された。

【小野好古】・・・884-968年。小野篁の孫、小野道風の兄。

日振島の地理はコチラ(wikipedia)。瀬戸内海はおろか、九州まで睨みをきかせることができるポジション。

石ノ森章太郎先生の「マンガ日本の歴史」を読み直すと、実に読み応えがある。10巻に相当。この書の魅力の1つとして巻末の解説が挙げられるが、この巻の義江彰夫先生の解説は現在の新刊にも著されるような武士の起源説をいち早く展開しており、唸る。(1997年刊行でありながら、である。)

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源経基

【源経基】…917頃~961年。平安中期の武将。父の貞純親王が清和天皇の第6皇子ということで六孫王と呼ばれた。賜姓源氏。938年武蔵介として任国にあったとき、賄賂を要求して権守興世王と共に同国の土豪である武蔵武芝と争う。平将門の仲裁でいったんはおさまったが、武芝の一派が経基の営所を包囲したことから、将門らが武芝に味方して自分を討つと思い京へ逃げ帰り彼らの謀反を朝廷に訴える。このときの行動を評して「介経基、未だ兵の道に練れず」とは『将門記』に述べられる。このあと将門の乱を鎮圧する征東軍に加わって東国に下る。この一件がかたづくや西国での藤原純友の乱の追捕次官として西下し鎮定した。この直後、大宰権少弐で警固使の任にあった経基は豊後国で賊徒の首領桑原生行を生け捕りにし、馬や絹などを押収した。六孫王神社(京都市南区)に経基のものと伝える墓がある。

♨とはいえ、とんでもない受領だったという話や、藤原純友の乱の平定時もあまり役に立たなかっただの、評判は芳しくない

♨五代前が坂上田村麻呂である。男系ではなく、彼の娘、坂上春子の血を受け継いでいる。

♨ちなみに息子の満仲は、今昔物語によれば、

(満仲は)狩猟と殺戮に明け暮れて、気に入らぬ従者を虫などを殺すようで(中略)、主筋の藤原道長から「殺人の上手」と呼ばれた。

桃崎有一郎「武士の起源を解きあかす」

とのこと。 なんてこっちゃ。

源氏で打線を組んだ

藤原秀郷

下野の豪族にして伝説的武士。通称:俵藤太。平将門を討つ。

↓新装版も出た。2019年発売、『伝説の将軍 藤原秀郷』新装版。最初のが2001年ということを考えるとロングセラーと考えてよいか。

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次章は村上天皇、冷泉天皇、円融天皇の時代。