~只今、全面改訂中~

平将門の乱

石ノ森章太郎「マンガ 日本の歴史10」より。【コチラも

横暴な国司を倒すことで支持を得た将門。
しかし、「新皇」を名乗ったことは「やりすぎ」だった。
武士の反乱が武士によって征討されたこと、乱の平定以降、源氏が関東で勢力を拡大したこと、平氏は伊勢国に拠点を移し、海賊勢力を手なずけていったことが日本史的意義。

【平将門】

903~940年。桓武天皇の5世孫。
祖父・平高望には5人の息子がいたが、将門の父・良持は早逝。

そのため、本来、将門に与えられるはずの遺産を叔父たち(国香、良兼、良正:ともに源護の婿)が奪おうと企んだことが争いのきっかけ。(+将門が良廉の娘を妻としたことに良兼が反対したこと。)

さらには地方の争いに首をつっこんでは、言うことを聞かない方を成敗。

一時は関東一円を手中に収めたが、「新皇」を名乗ったことで猛反撃を食らう。

940年2月、将門は春の収穫に備えて兵を帰国させます。

しかし、そのタイミングを狙い平貞盛と藤原秀郷が将門討伐へ。

人数に劣る将門軍は敗退し、将門は流れ矢に当たり討死となりました。

ちなみに、平貞盛は父の敵討ちに燃えているようにイメージされることが多いですが、むしろ戦いを辞めたくてしょがなかったようです。

それでも再対決せねばならなかったのは源護の婿代表としての責任からで、そうでもしなければ、土地に馴染めなかったからんですって。

将門一派は関東一円ほどの勢力を持ちながらあっけなく終わりました。

もし民衆を巻き込んでいたら話は変わったのかも知れませんが、時代はまだそこまで進んでいませんね。

ちなみに中央から68歳の藤原忠文が征東将軍に任命されましたが(任命したのは藤原忠平)、本気ならもっと精鋭を送っていたのではないでしょうか?という考えも。

もっとも、精鋭がいなかったのかも知れませんが。

将門が新皇となったのは滅ぼされた渤海国を助けるためという話も:コチラ

【平将門首伝説逸話】

★平将門の首には怨念が込められていて、力が宿っているとされている。将門の首塚をGHQが掘り起こそうとしたらブルドーザーが倒れて運転手(日本人)が死亡した。

【藤原秀郷】

下野の豪族にして伝説的武士。通称:俵藤太。平将門を討つ

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