- 2019/12/26
- 2019/12/28
☞【古代史講義/第9講:『平安遷都と対蝦夷戦争』(前)】
宮城県多賀城跡調査研究所主任研究員、吉野武先生。桓武天皇が軍事(対蝦夷戦争)と造作(平安遷都)を重視したのは、自らの出自の低さを補う権威付けの目的があった。 770年、称徳天皇、没。 称徳天皇は子供がいなかった。そのため彼女が没すると(770年)、当然のことな […]
宮城県多賀城跡調査研究所主任研究員、吉野武先生。桓武天皇が軍事(対蝦夷戦争)と造作(平安遷都)を重視したのは、自らの出自の低さを補う権威付けの目的があった。 770年、称徳天皇、没。 称徳天皇は子供がいなかった。そのため彼女が没すると(770年)、当然のことな […]
宮内庁正倉院事務所保存課長、飯田剛彦先生。日本は「シルクロードの終着駅」と言うよりは、「国際都市・長安に着いたものの一部が辿り着いた」に過ぎず、日本の国際性を過大評価することは避けなければならないとのこと。 【世界史】8世紀の世界 【Copyright© 20 […]
東京大学名誉教授、佐藤信先生(【コチラ】も【コチラ】も)。「地方官衙」=「国府(国衙)」、「郡家(郡衙)」。律令国家は、地方豪族のもつ在地支配権を統合・統轄していた。中央から派遣される国司には任期があったが、地方豪族が任じられる郡司には任期がない。 郡司とは […]
【前編はコチラ】 藤原仲麻呂の台頭と没落 ★叔母にあたる光明皇后の後ろ盾で出世。光明皇后存命中は、孝謙天皇との関係も良好であったが、光明皇后を失ってからは孝謙天皇との関係が悪化。藤原仲麻呂の乱につながる。 706 藤原武智麻呂の次男として誕生。兄は豊成。 73 […]
宮内庁正倉院事務所保存課技官、佐々田悠先生。奈良時代の政治史は「皇位継承問題」と「藤原氏の台頭」が争点であった。天武・持統の直系は文武、元明、元正、聖武へ継承されるが皇子不足に終始悩まされ、称徳天皇でその血統が途絶える。聖武天皇の外戚となった藤原氏に対して他氏 […]
奈良文化財研究所都城発掘調査部主任研究員、馬場基先生。藤原京に代わって平城京を作った1番の要因は儀礼空間としてのアップグレードであったと考えられる。 藤原京は①天子南面が不徹底、②都の標高が低い、③朱雀大路の幅が他と同規模などの問題を有した。 平城京はいきなり […]
【前編はコチラ】 667年近江大津宮へ遷都 ↓668年天智天皇即位高句麗滅亡後、唐と新羅が抗争開始 ↓670年庚午年籍 ↓671年大友王が太政大臣に(後継者としての位置づけ)天智天皇没 ↓672年壬申の乱天武天皇による改革 ↓681年律令編纂開始(→689年、 […]