~「もう一つ上の日本史」出版に伴い、勉強方法も変える必要が出たので、全面改訂突入します~

世代順に平氏を並べた。

この打線の特徴としては「かつてスターの3番打者+史上最強の下位打線

1中 高望王
2右 国香
3三 将門
4二 維衡
5左 忠常
6一 直方
7捕 正盛
8遊 忠盛
9投 清盛

最も忘れてはならないのは、平氏と院の関係。

時代的に「下位打線の3人」が「3人の院」に対応しているが、清盛はともかく、正盛と忠盛の順番を混同しやすい。ここは、「画数順」に「正」→「忠」→「清」と覚えたい。

正盛⇔白河
忠盛⇔鳥羽
清盛⇔後白河

忠盛=鳥羽に関しては、「ただの鳥」という覚え方もある。

【中】 高望王

桓武天皇の孫だが、いかんせん、桓武天皇が子供を作り過ぎた(32人)。そのため、在野に下ることに。

⇒【「武士の起源を解きあかす」は名著。

また、高望王自身は「文人」である。彼のような「無力」な「よそ者」が関東でたった一代で力をつけることができたのは、 彼が桓武天皇の孫という「貴種」であったからだろう。

「京下りの王臣子孫」と、「現地有力者の娘」という組み合わせは互いにない素質を補い合うのだ。

「当時の婚姻が妻問婚だったことが重要だ。」

桃崎有一郎「武士の起源を解きあかす」

【右】 国香(~935)

歴史的には将門が相続できるはずの土地を掠め取ろうとした悪い奴として描かれる高望王の長男。甥の将門にぶっ殺される。

【三】 将門(~940)

ご存知、将門。

結果的には敗れはしたが、その首は崇りを起こすとして相当危ない。

彼の失敗は「新皇」を宣言してしまったこと。源頼朝が天皇を目指さなかったのは、将門の失敗を知っていたからだとも言われている。

「将門だけが反逆者として歴史上に強烈な記憶を残した理由は、(中略)天皇に代わる「新皇」になると公言した一点にある。(中略)そこが、朝廷が見逃せる悪事とそれ以外の分水嶺だった。(中略)将門は素朴に、朝廷がそこに一線を引いたことに気づかなかったのではないか、と私は疑っている。」

桃崎有一郎「武士の起源を解きあかす」

平将門の乱以後、源氏が関東で勢力を拡大、平氏は伊勢国に拠点を移し、海賊勢力を手なずけていった

近年の評価としては、

「将門はいつも単純だ。」

桃崎有一郎「武士の起源を解きあかす」

と、やや厳しめ。小学生向けの本にも「調子に乗りすぎた」と書かれてしまっている。

実は「負け試合」もある。

 【二】維衡

将門のライバル・貞盛の子で伊勢平氏の祖となった。彼の曾孫が正盛である。(維衡⇒正度⇒正衡⇒正盛)

父・貞盛は「将門の敵」として描かれることが多いが、実は「しょうがなく」戦った。

「むしろ、国香の子の貞盛は、将門との戦いを貫徹する意思がないと繰り返し表明した。」

桃崎有一郎「武士の起源を解きあかす」

それでも再対決せねばならなかったのは源護の婿代表としての責任からだが、そうしなければ、土地に馴染めなかった。

【追記】

同時代人に藤原道長。伊勢守就任の話が持ち上がったことがあったが、かつて伊勢で私闘を行ったことを理由に藤原道長によって反対された。

【左】 忠常(~1031)

1028~31年平忠常の乱をおこすも、源頼信に平定される。母方の祖父が将門。

知名度は低いが、結構な規模の乱であった。これを鎮圧した(実際に戦ってはいないが)ことで、源氏が台頭したことは覚えておく。

コチラも

【一】 直方

彼の娘が源頼義の妻となり、源義家、源義綱、源義光という清和源氏最強とも呼べる三兄弟を生んだ。

【捕】 正盛(~1121)

父は平正衡。

白河法皇に伊賀国の荘園を寄進したことで北面武士として登用され、源義親の乱を平定した。平家発展の礎を築いたのは彼。清盛1人ではない。

【遊】 忠盛(1096~1153)

日本史史上最も有名な「斜視」か。

日宋貿易で莫大な利益を得る。瀬戸内海の海賊を平定して(※)鳥羽上皇の信任を得る。殿上人になり昇殿。

※海賊を平定したのだが「藤原純友の乱」と混同してはダメ。時代が違う。

【投】 清盛(1118~1181)

経済への先見性などから近年評価が高まっている。

いまだに「貴族的」と評されることもあるが、どう見ても武士であろう

大輪田泊を修復したことや、安芸国厳島神社を氏神としたこと、完全に海上路を押さえたこと(1164年:平家納経)が有名だが、有明海に面する院領の肥前国神埼荘を知行していたほか、太宰府長官として九州の要も押さえていた。

「変と乱の日本史」は必見。コチラ。

※宋からの輸入品:宋銭、香料、薬品、陶磁器、織物、絵画、書籍など。 日本からの輸出品:金、銀、硫黄、水銀、真珠、工芸品(刀剣・漆器など)。金は奥州の砂金が、平泉と京都を結ぶルートで運ばれ、宋に運ばれた。次の元の時代で、この話がマルコ=ポーロに伝えられ、『東方見聞録』の記事となった。

wikipediaより。平将門像@築土神社

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平忠盛。wikipediaより。

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