~只今、全面改訂中~

こんにちは。

試験前、正盛と忠盛はどっちが先か・・・と混乱することがしばしありました。

そこで「画数」の少なさ順に、「正盛→忠盛→清盛」と並べれば順番どおりになることに気付きまして、その覚え方を自分の中で採用することにしました。

今回は、その正盛→忠盛→清盛をベースに世代順に平氏を並べて、「打線」を組んでみました。

本当は清盛の息子の代も入れるべきだったのかも知れませんが、

平氏の祖とされる高望王から数えて、清盛が9世代目にあたるということで、高望王を1番、清盛を9番としました。

この打線の特徴としては「超有名3番打者+史上最強の下位打線

1中 高望王 200.5HR
2右 国香 240.12HR
3三 将門 280.37HR
4二 維衡 320.20HR
5左 忠常 275.24HR
6一 直方 270.7HR
7捕 正盛 385.40HR
8遊 忠盛 380.37HR
9投 清盛 398.45HR/20勝3敗1.65

1【中】高望王

桓武天皇の孫という「貴種」だが、いかんせん、桓武天皇が子供を作り過ぎた(32人)せいで、従兄弟が多過ぎた。

そのため、中央に見切りをつけ関東へ赴任することに。

高望王自身は「文人」であったが、彼のような貴種が、「現地有力者の娘」と組み合わさることで互いの弱点を補い合い、一大勢力となった。

名著です。

2【右】国香(~935)

高望王長男。

甥の将門が相続するはずの土地を掠め取ろうとして将門にぶっ殺される。

3【三】将門(903~940)

「将門だけが反逆者として歴史上に強烈な記憶を残した理由は、(中略)天皇に代わる「新皇」になると公言した一点にある。(中略)そこが、朝廷が見逃せる悪事とそれ以外の分水嶺だった。(中略)将門は素朴に、朝廷がそこに一線を引いたことに気づかなかったのではないか、と私は疑っている。」

桃崎有一郎「武士の起源を解きあかす」

彼の失敗は「新皇」を宣言してしまったこと。

それをしなければ、もう少し長命できたかも知れない。

源頼朝が天皇を目指さなかったのは、将門の失敗を知っていたからだとも考えられる。

「将門の首」は崇りを起こすことでも知られる。

意外と負けた戦争もあった。

平将門の乱以後、源氏が関東で勢力を拡大、平氏は伊勢国に拠点を移し、海賊勢力を手なずけていった

将門の本拠地と、乱が及んだ範囲。小学生向けの本には「調子に乗りすぎた」と書かれる。

4【二】維衡

最終的に将門に打ち勝った平貞盛(国香の息子)の息子。伊勢平氏の祖となった。彼の曾孫が正盛である。(維衡⇒正度⇒正衡⇒正盛)

ちなみに貞盛が「戦わざるを得なかった」のは源護の婿代表としての責任からで、そうでもしなければ、関東に馴染めなかった。

5【左】忠常(967?~1031)

母方の祖父が将門。

1028~31年平忠常の乱をおこすも、源頼信に平定される。

これを機に源氏が台頭した。

鍛錬の賜物で頼信は騎射能力を得る。

6【一】直方

直方自身は特に覚える必要もないのだが、彼の娘が源頼義の妻となり、源義家、源義綱、源義光という「最強三兄弟」を生んだ

最初から源平は敵だったわけでもない。

7【捕】正盛(~1121)

伊勢平氏の棟梁である平正衡を父に持つ。

白河法皇に伊賀国の荘園を寄進したことで北面武士として登用され、

さらに源義親の乱を平定したことで名を挙げる。

平家発展の礎を築いたのは彼。

(清盛一代で発展したわけではない。)

また、平氏と院の関係は覚えなくてはいけないが、時期的にこの「下位打線の3人」が「3人の院」にそれぞれ対応。

正盛⇔白河
忠盛⇔鳥羽
清盛⇔後白河

忠盛⇔鳥羽院の関係を「ただの とり」と覚えると残りはスムーズ。

8【遊】忠盛(1096~1153)

正盛の息子。

日宋貿易で莫大な利益を得る

また、瀬戸内海の海賊を平定して(※)鳥羽上皇の信任を得る

殿上人になり昇殿。

日本史史上最も有名な「斜視」であろうか。

※瀬戸内海には違いないが、この海賊を「藤原純友の乱」と混同してはダメ。時代が全然違う。

wikipediaより。

9【投】清盛(1118~1181)

忠盛の息子。

(後白河法皇の落胤説もあるが。)

いまだに「貴族的」と評されることもあるが、どう見ても武士であろう

大輪田泊(神戸)の修復、厳島神社、福原遷都などが有名だが、太宰府長官として九州の要も押さえていたことがポイントでもある。

経済への先見性などから近年評価が高まっている。

一言で言うと、後白河法皇の「挑発」が酷い。

※宋からの輸入品:宋銭、香料、薬品、陶磁器、織物、絵画、書籍など。

※日本からの輸出品:金、銀、硫黄、水銀、真珠、工芸品(刀剣・漆器など)。

奥州の砂金が、平泉から京を経由して宋に運ばれた

(この話がマルコ=ポーロに伝えられ、『東方見聞録』の記事となった。)

なぜ私を悪者扱いするのか・・・

wikipediaより。平将門像@築土神社

源氏打線はコチラ。コチラは「直系」で打線を組めてしまうのがスゴイ。