~「もう一つ上の日本史」出版に伴い、勉強方法も変える必要が出たので、全面改訂突入します~

大東文化大学文学部教授、宮瀧交二先生。

平将門の乱

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将門が都に出仕している間に父・良将が急死。遺産を叔父の国香・良兼が分捕る

将門が国香、良兼と合戦(935~)。最終的に打ち破る。

武蔵国司権守・興世王と武蔵国司介・藤原経基が足立郡司・武蔵武芝と衝突(938)。将門は調停に乗り出すも経基は「将門謀反」を告げ、将門は上京して審問を受ける。

国司の追捕を受けた常陸国の住人・藤原玄明に助けを求められて、常陸国府を焼き払う(939)

さらに下野・上野国府も陥れ、「新皇」と称し一族を勝手に関東の国司に任命。これにて一線を超えてしまった。

940年、藤原忠文を征東大将軍として討伐に乗り出すも、それより先に平貞盛、藤原秀郷といった関東の武人により将門は敗れる。

現在のところ、特にこれより変わった発見はないが、当時の環境として今よりも温暖化にあり、農業生産性は高かったのではないかということが推測されている。

将門の本拠地と乱が及んだ範囲(「あなたの知らない古代史」,2017)より。
近世まで「香取の海」と呼ばれる巨大な内海があり、鬼怒川、利根川、東京湾などを結んでいた。将門の本拠地は当時、水上交通の要にあり、将門は船で各地に進軍していた可能性は少なくない。

※将門の本拠地は下総国豊田・猿島郡で現在の茨城県坂東市周辺である。また、現在では利根川の本流は銚子市から太平洋に注いでいるが、当時、利根川は東京湾に流れる方が本流であった。

藤原純友の乱

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866年、応天門の変でそれまで瀬戸内海の海上交通を担っていた大伴、紀氏が中央政界から没落

日唐間の貿易再編に向けて利権の争奪合戦

伊予国司(掾)・藤原純友が海賊平定時の恩賞を政府に要求して蜂起

一時は爵位を得るが、941年、大宰府での攻防に破れ、最終的に伊予国の警固使・橘遠保に討たれた。

藤原純友が国家転覆を目指していたと考える説は疑問。単に貿易における利権の奪い合いと見る説が有力。

将門と純友が互いに連絡を取り合っていたという説はなおさら疑問。

次章は「平泉と奥州藤原氏」