こんにちは。
今回ご紹介しますのは、「平将門・藤原純友の乱」です。
ちくま新書「古代史講義」第14講(担当:宮瀧交二先生)を参考にさせて頂きました。
平将門の乱
平将門の乱の流れ
将門が都に出仕している間に父・良将が急死。遺産を叔父の国香・良兼が分捕る
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将門が国香、良兼と合戦(935~)。最終的に打ち破る。
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武蔵国司権守・興世王と武蔵国司介・藤原経基が足立郡司・武蔵武芝と衝突(938)。将門は調停に乗り出すも経基は「将門謀反」を告げ、将門は上京して審問を受ける。
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国司の追捕を受けた常陸国の住人・藤原玄明に助けを求められて、常陸国府を焼き払う(939)
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さらに下野・上野国府も陥れ、「新皇」と称し一族を勝手に関東の国司に任命。これにて一線を超えてしまった。
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940年、藤原忠文を征東大将軍として討伐に乗り出すも、それより先に平貞盛、藤原秀郷といった関東の武人により将門は敗れる。
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当時、国府が襲われることは珍しくありませんでした。
しかし、「新皇」を名乗ってしまったことは行き過ぎでした。
この反省は源頼朝に引き継がれるのです。
将門の本拠地と乱が及んだ範囲
塗りつぶされているところが将門の本拠地、赤線で囲われた部分が乱の及んだ範囲です。
近世までこの地には「香取の海」と呼ばれる巨大な内海があり、鬼怒川、利根川、東京湾などが結ばれていました。
また、現在の利根川の本流は銚子市から太平洋に注いでいますが、当時は東京湾に流れる方が本流でした。
将門の本拠地は下総国豊田・猿島郡(現在の茨城県坂東市周辺)でした。
この地は水上交通の要で、将門は船で進軍していたとも考えられています。
ちなみに、当時は今よりも温暖で、農業生産性は高かったと推測されています。
藤原純友の乱
藤原純友の乱の流れ
866年、応天門の変でそれまで瀬戸内海の海上交通を担っていた大伴、紀氏が中央政界から没落
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日唐間の貿易再編に向けて利権の争奪合戦
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伊予国司(掾)・藤原純友が海賊平定時の恩賞を政府に要求して蜂起
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一時は爵位を得るが、941年、大宰府での攻防に破れ、最終的に伊予国の警固使・橘遠保に討たれた。
藤原純友はもともと役人で海賊を取り締まる方だったのですが、いつの間にか、海賊の首領になってしまった、という話です。
藤原純友が国家転覆を目指していたと考える説は疑問でして、単に貿易における利権の奪い合いと見る説が有力だそうです。
また、同時期に勃発しておりますが、将門と純友が互いに連絡を取り合っていたという説はなおさら疑問とのことです。