~「もう一つ上の日本史」出版に伴い、勉強方法も変える必要が出たので、全面改訂突入します~

宮城学院女子大学学芸部人間文化学科教授、大平聡先生。もしも東北を旅行することがあれば、奥州藤原氏が残した足跡は必ずたどりたい。

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平泉・中尊寺金色堂の位置

中尊寺金色堂があまりにも有名であるが、この一帯には毛通寺(もうつうじ)、観自在王院、無量光院(むりょうこういん:宇治平等院を模した)、花立廃寺(はなだてはいじ:現在は痕跡すらない)などがあった。

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ちなみに、大谷翔平選手の出身地は平泉の北に位置する奥州市

※岩手県出身の首相はなんと4人。原敬(盛岡市)、斎藤実(奥州市)、米内光政(盛岡市)、鈴木善幸(山田町)。

末法思想、浄土教が盛行した11世紀~12世紀、全国には園池を配した浄土式庭園を有する寺院は多かったが、平泉のように近接地区に複数の浄土式庭園を有した寺院が存在した地方都市はない。

頼朝の進軍後、当時の寺院はほとんど姿を消すこととなったが、中尊寺金色堂が往時の姿をそのままに伝えていることは奇跡であろう。

奥州藤原氏は独立政権か?

ここで奥州藤原氏は独立政権であったのか、北方の貿易、あるいは金の発掘を行うための国家機関であったのかという疑問が生じる。

結論としては、奥州藤原氏は「京の模倣」として語られていた時代もあったが、そうではなく、中央政府とは良好な関係を築こうとしながらも、自己の歴史的伝統性を誇り、独自性をもった政権であったと考えられる。

※奥州藤原氏の歴史は京と密接に関わっていたことは確認されており、藤原忠実、頼長親子が荘園の年貢増額を要求して基衡と対立したこと、その背景に鳥羽院の2人の皇后、待賢門院と美福門院の対立があったこと、それが基衡と、陸奥国守・藤原基成の強い結びつきを生んでいたこと、基成との交流が毛通寺造営に深く関わっていたことなどが明らかにされている。(遠藤基郎、2015)

奥州藤原四代が「衡」の字を継いでいることは清原氏の末裔であることを意識したものであるし、蝦夷から安倍氏、清原氏へと引き継がれた系譜があるため、藤原氏は拠点を平泉にしたのであろう。

奥州藤原氏政権について、さらなる検討が必要である。

【終】

一段落したら次は中世史講義に進みます。

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