~「もう一つ上の日本史」出版に伴い、勉強方法も変える必要が出たので、全面改訂突入します~

☞【来日宣教師で打線を組んだ】

教科書で習うのはザビエル、ヴィレラ、フロイス、ヴァリニャーノ、オルガンティーノといったところか。

でも、トルレス、アルメイダ、ロレンソなくして日本の布教活動発展はあり得なかったぞ。

1左 フランシスコ・ザビエル 197.1HR

イエズス会創立に深く関わる。最初に来日するも日本での活動成果は「ゼロ」に等しい。日本人に対しては好印象を抱く。1506~1552年。

ザビエル来航の背景

2遊 コスメ・デ・トルレス 369.10HR

ザビエルは2年で去るが、残って布教を続けた。山口で戦乱に巻き込まれて九州へ。「適応主義」により信者を増やす。体も人柄も大きく、衆人に愛された。1510~1570年。

ザビエルからトルレスへ

3二 ルイス・デ・アルメイダ 385.35HR

医師兼貿易商人。稼いだお金でイエズス会を援助。アルメイダなしではイエズス会の資金は回らなかった。乳児院や病院も建て、布教活動でもエース級の活躍。1525~1583年。

アルメイダ登場

4指 ロレンソ了斎 377.37HR

言葉も通じない国で布教活動が出来たのは、「日本人キリシタン」による。「ロレンソこそ日本キリシタン史史上最高の説教使」byフロイス。日乗との宗論、高山右近親子入信時などで、力を発揮。1526~1592年。

信長の面前で日乗と宗論

5一 ガスパル・ヴィレラ 250.10HR

平戸勤務時代に寺社仏閣を焼いて追放されるが、京都で足利義輝に謁見したことでその名を残す。ただ、彼の功績とされるものの内実はロレンソのものであったりする。1525~1572年。

ヴィレラ、都で苦悶す

6三 ルイス・フロイス 333.18HR

文章が長いことでも有名。簡潔にすべきという上司(ヴァリニャーノ)の助言も突っぱねる。信長との謁見回数は18回。1532~1597年。

フロイスの話は、長い

7右 ガスパール・コエリュ 200.12HR

秀吉が伴天連追放令を出したのは、彼の言動が失礼だったことも一因か。追放令以後はスペインの支援を受けて秀吉と戦う段取りを行なう。1530~1590年。

秀吉vsコエリュ

幻の日本ースペイン戦争

8捕 ニェッキ・ソルディ・オルガンティーノ 300.20HR

その明るい性格から多くの日本人に親しまれる。信長にも気に入られ、安土城のセミナリオの上長となる。1533~1609年。

セミナリオ上長に

本能寺の変の余波で襲われる

サン・フェリーペ号事件では死を覚悟

9中 トマス荒木 283.11HR

イエズス会の中で日本人が冷遇されていた時代において、単身ローマへ渡り司祭となる。彼には「日本人の、日本人のための、日本人によるキリスト教」という夢があったのであろうか?(不明)~1646?。

その後のトマス荒木

投手:アレッサンドロ・ヴァリニャーニ 18勝7敗 2.75

若くして頭角を現す。日本人の資質をよく理解し、カブラルの「反・適応主義」を改める。天正遣欧使節も彼のアイデアである。活版印刷術を持ち込んだのも彼。明で活躍したマテオ・リッチは弟子にあたる。1539~1606年。

ヴァリニャーノ入京

天正遣欧使節を“思いつく”

控え:フランシスコ・カブラル 13勝11敗 3.50

トルレスの後任となるも、それまでの「適応主義」を否定。「私は日本人ほど傲慢、貪欲、無節操、かつ欺瞞にみちた国民を見たことがない」と言う言葉も残す。天敵・ヴァリニャーノにより解任。11年間の滞在で、信者を3000人から12万に増やしたことは自分の功績と吹聴。1533~1609年。

カブラルはひどい

控え:沢野忠庵 7勝10敗 4.75

本名クリストファン・フェレイラ。管区長代理のポジションであったが、1633年、拷問により棄教。以後、弾圧側にまわる。遠藤周作『沈黙』のモデルでもある。1580~1650年。

1633年、吹き荒れる弾圧