こんにちは。
今回ご紹介しますのは『バテレンの世紀』第10章。
畿内巡察を経て九州へ戻ったヴァリニャーノは「あること」を思いつきました。
それこそが、後世に名を残す「天正遣欧使節」です。
天正遣欧少年使節
ヴァリニャーノが日本巡察を終えてインドに帰る際、4人の少年が「天正遣欧使節」に選ばれました。
(ちなみにのちに伊達政宗配下の支倉常長も遣欧した時は慶長16年(1613年)だったので、「慶長遣欧使節」【コチラも】。「慶長」の前の時代が、「文禄」。秀吉の朝鮮出兵は「文禄・慶長の役」と呼ばれます。天正→文禄→慶長→元和(げんな)です。)
これには、ヴァリニャーノが彼らにヨーロッパのキリスト教世界の良さを伝えたかったから、
というよりは、のちの信者獲得・宣伝効果を狙って「良い面だけを見せたかった」からです。
もう1つの狙いは、感動を与えて南欧諸国から援助を引き出すことでした。
遣欧少年使節は各地で大フィーバーを引き起こし、その目的は果たすことができました。
しかし、「キリスト教世界の良さ」が伝わったのかは定かではありません。
しかし、欧州では特に何も驚かなかったというではないか。日本の城の方がすごかったんじゃなかろうか。
むしろヨーロッパ人の方が少年たちの所作に感動したって言う話じゃな。
あ、出発に際して、私、大友宗麟氏の花押を偽造しましたけど、すいません。なんせ急ぎだったもので。
ちなみに1590年、ヴァリニャーノが「天正遣欧使節記」なる本を出版します。
少年たちの訪欧記・・・のはずですが、
ヴァリニャーノがゴーストライターであることは明らかでした。
「ヨーロッパでは戦争がない」とまで書いちゃった。
1590年に彼らは日本に帰国します。
しかし、この8年の間に、日本は様変わりしておりました。
その話はまた次回に。
あんまり知られていないんですけど、そのための日本人技術者も養成したんですよ。
ザビエル来日~天正遣欧使節までの略年表
1549 | ザビエル、トルレス、フェルナンデス、鹿児島に漂着。 |
1551 | 山口・豊後で布教後、ザビエル離日。 トルレス、日本イエズス会布教長に。 陶晴賢の乱 |
1552 | ザビエル、上川島で死去 。 ※後期倭寇(中国人海商を主体とする)、南シナ海にて活発化 |
1553 | ガーゴ、豊後での布教開始。 |
1555 | アルメイダ、豊後で育児院を設立(翌年は病院を設立)。 トルレス、豊後に移る。 ※厳島で陶晴賢敗死。 |
1557 | ポルトガル、マカオに定住地を得て、日本貿易の拠点とする。 日本貿易は胡椒貿易よりはるかに大きな利潤をもたらした。 ガスパル・ヴィレラ来日。平戸へ。 |
1558 | ヴィレラ、平戸追放。 |
1559 | ヴィレラ、京都で布教を開始。 ※倭寇のリーダー王直、明朝に斬られる。 |
1560 | ヴィレラ、将軍足利義輝に謁見。宣教の許可を得る。 ※桶狭間の合戦 |
1561 | ヴィレラ、堺へ。 平戸で「宮ノ前事件」があり、大村純忠領の「横瀬浦」開港へ。 |
1562 | 有間領の「口之津」開港。 |
1563 | 「横瀬浦」港焼失。 畿内で結城山城守、高山飛騨守(右近の父)、清原枝賢らの受洗。 九州で大村純忠受洗、切支丹領主出現。 ルイス・フロイス来日。 |
1564 | 高山右近受洗。 トルレスら有馬領「口之津」へ。 フロイスと松浦隆信の交渉により「平戸」再開港。 |
1565 | 福田開港。 1月フロイス入洛。 ※松永久秀、将軍義輝を誅す ※スペイン、セブ島を征服 ※ウルダネタ航路発見によりマニラーアカプルコ間の航路が確立する |
1566 | アルメイダ、西肥前で布教。 ヴィレラ、老トルレスの命で豊後へ。 |
1567 | 松永久秀、奈良で三好三人衆を破り東大寺大仏殿を焼く。 |
1568 | ネーデルランドで反スペイン闘争 |
1569 | フロイス、信長に謁見 |
1570 | 大村純忠、長崎開港。 カブラル、オルガンティーノ来日(@天草志岐)。 トルレス死去。カブラル布教長に。 |
1571 | カブラル、上京。 天草では志岐鎮経が家臣のキリシタンを迫害 (入港地が長崎へ決定した影響?) フロイスの保護者であった和田惟政戦死。 ※スペイン、マニラを首都としてフィリピンの領有宣言 |
1572 | 後藤貴明、大村純忠を攻める。「三城七騎籠り」。 |
1573 | カブラル、博多、山口で布教。 ※足利義昭、都を追放される |
1575 | 布教長カブラルと、コエリュによる大村領キリシタン化。 ※長篠の戦 |
1576 | 京都で「南蛮寺」の献堂式。 有馬義貞、受洗 |
1578 | 大友宗麟、カブラルから受洗 ※耳川の戦い(大友vs島津) |
1579 | 巡察師ヴァリニャーノ、来日(→適応主義復活へ) |
1580 | 有馬および安土に修道院完成(安土の上長はオルガンティーノ。) 純忠、イエズス会に長崎を寄進 ※フェリペ2世、ポルトガル王兼任 |
1581 | ヴァリニャーノ、本能寺で信長に謁見。 日本イエズス会、布教区から準管区に昇格 コエリュが準管区長に |
1582 | 天正少年遣欧使節出発。ヴァリニャーノ、ゴアまで同行 |