~「もう一つ上の日本史」出版に伴い、勉強方法も変える必要が出たので、全面改訂突入します~

☞【1582年、天正遣欧使節派遣!】『バテレンの世紀』(渡辺京二、2017年、新潮社)

バテレンの世紀』第10章より。

畿内巡察から九州へ戻ったヴァリニャーノはあることを「思いつく」。
それこそが、後世に名を残す「天正遣欧使節」である。

天正少年使節

天正10年(1582年)に出発したから「天正遣欧使節」。

 

のちに伊達政宗配下の支倉常長も遣欧しましたけど、この時は慶長16年(1613年)だったので、「慶長遣欧使節」【コチラも】。

「慶長」の前の時代が、「文禄」。

そう、豊臣秀吉の朝鮮出兵は「文禄・慶長の役」と呼ばれますね。

天正→文禄→慶長→元和(げんな)の順で、その次が「寛永通宝」の「寛永」です。

ヴァリニャーノが日本巡察を終えてインドに帰る際、4人の少年が「天正遣欧使節」に選ばれました。

なぜそんなことになったのかと言いますと、ヴァリニャーノが彼らにヨーロッパのキリスト教世界の良さを伝えたかったからです。

というよりは、「良い面だけを見せたかった」からです。

良い面だけ見せて、悪い面は一切見せない、というのはのちの中国、ソ連の共産党政権を彷彿とさせる。

もう1つの狙いは、感動を与えて南欧諸国から援助を引き出すことでした。

遣欧少年使節は各地で大フィーバーを引き起こし、その目的は果たすことができました。

しかし、「キリスト教世界の良さ」が伝わったのかは定かではありません。

実際に彼らは「特に驚かなかった」そうです。

九州しか知らん彼らに文化比較をさせることは難しいだろうけど、日本の城見てたら、さほど驚くまい。

それにむしろヨーロッパ人の方が少年たちの所作に感動したって言うじゃないか。

ただその後、迫害されながらも信仰を守ったのは(千々和ミゲルは棄教)、この時の思いがあったからじゃないかなー。

あ、出発に際して、私、大友宗麟氏の花押を偽造しましたけど、すいません。なんせ急ぎだったもので。

1590年、ヴァリニャーノが「天正遣欧使節記」なる本を出版します。

少年たちの訪欧記・・・のはずですが、

ヴァリニャーノがゴーストライターであることは明らかでした。

想像で書けるなんて私、文才もあるみたい。

「ヨーロッパでは戦争がない」とまで書いちゃった。

あ、でも、イエズス会はイエズス会でいろいろ大変なんですよー。

許してちょんまげ。

1590年に彼らは日本に帰国します。

しかし、この間、日本ではとんでもないことが次々と起こり、彼らをとりまく環境も様変わりしておりました。

その話はまた次回に。

またあとで出てくるけど、日本に帰る時に「活版印刷機」を持たせたのは、私のファインプレーなんですよねー。

あんまり知られていないんですけど、そのための日本人技術者も養成したんですよ。

ザビエル来日~天正遣欧使節までの略年表

1549ザビエル、トルレス、フェルナンデス、鹿児島に漂着。
1551山口・豊後府内で布教後、ザビエル離日。
トルレス、日本イエズス会布教長に
陶晴賢の乱
1552ザビエル、上川島で死去 。
後期倭寇(中国人海商を主体とする)、南シナ海にて活発化
1553ガーゴ、豊後での布教開始。
1555アルメイダ、豊後で育児院を設立(翌年は病院を設立)
トルレス、豊後に移る
※厳島で陶晴賢敗死。
1557ポルトガル、マカオに定住地を得る。
この地を日本貿易の拠点とする。
日本貿易は胡椒貿易よりはるかに大きな利潤をもたらした。
ガスパル・ヴィレラ来日。平戸へ。
1558ヴィレラ、平戸追放。
1559ヴィレラ、京都で布教を開始
※倭寇のリーダー王直、明朝に斬られる。
1560ヴィレラ、将軍足利義輝に謁見。宣教の許可を得る。
※桶狭間の合戦
1561ヴィレラ、堺へ。
平戸で「宮ノ前事件」があり、大村純忠領の「横瀬浦」開港へ。
1562有間領の「口之津」開港。
1563「横瀬浦」港焼失。
畿内で結城山城守、高山飛騨守(右近の父)、清原枝賢らの受洗。
九州で大村純忠受洗、切支丹領主出現
ルイス・フロイス来日。
1564高山右近受洗
トルレスら有馬領「口之津」へ。
フロイスと松浦隆信の交渉により「平戸」再開港。
1565福田開港。
1月フロイス入洛。
※松永久秀、将軍義輝を誅す
※スペイン、セブ島を征服
※ウルダネタ航路発見によりマニラーアカプルコ間の航路が確立する
1566アルメイダ、西肥前で布教。
ヴィレラ、老トルレスの命で豊後へ。
1567松永久秀、奈良で三好三人衆を破り東大寺大仏殿を焼く。
1568ネーデルランドで反スペイン闘争
1569フロイス、信長に謁見
1570大村純忠、長崎開港。
カブラル、オルガンティーノ来日(@天草志岐)。
トルレス死去。カブラル布教長に。
1571カブラル、上京。
天草では志岐鎮経が家臣のキリシタンを迫害(入港地が長崎へ決定した影響?)
フロイスの保護者であった和田惟政戦死。
※スペイン、マニラを首都としてフィリピンの領有宣言
1572後藤貴明、大村純忠を攻める。「三城七騎籠り」。
1573カブラル、博多、山口で布教。
※足利義昭、都を追放される
1575布教長カブラルと、コエリュによる大村領キリシタン化。
※長篠の戦
1576京都で「南蛮寺」の献堂式。
有馬義貞、受洗
1578大友宗麟、カブラルから受洗
※耳川の戦い(大友vs島津)
1579巡察師ヴァリニャーノ、来日(→適応主義復活へ)
1580有馬および安土に修道院完成(安土の上長はオルガンティーノ。)
純忠、イエズス会に長崎を寄進
※フェリペ2世、ポルトガル王兼任
1581ヴァリニャーノ、本能寺で信長に謁見。
日本イエズス会、布教区から準管区に昇格 コエリュが準管区長に
1582天正少年遣欧使節出発。ヴァリニャーノ、ゴアまで同行