~「もう一つ上の日本史」出版に伴い、勉強方法も変える必要が出たので、全面改訂突入します~

☞【スペイン系修道会登場。1596年、「サン・フェリーペ号事件」!】『バテレンの世紀』(渡辺京二、2017年、新潮社)

バテレンの世紀』第13章より。

1580年、スペインのフェリペ2世はポルトガル王も兼任することになる。

しかし、実際はスペインとポルトガルは別の国であり、これにより以前より敵対関係が強くなったとも言われている。

スペイン系修道会は1587年の「伴天連追放令」にも関わらず来日し、堂々と布教活動を行なった。

そのような中で1596年、アカプルコに向かう途中のスペイン船「サン・フェリーペ号」が土佐に漂着する。

悲劇の始まりでもあった。

サン・フェリーペ号事件

イエズス会は息を潜める形で布教を続け、ヴァリニャーノは京都で秀吉に会い関係改善に尽力するなど努力をしておりました。

しかし、禁教令の中、どういう経緯でそうなったのかはわかりませんが、1594年、スペイン系修道会である「フランシスコ会」が京都に教会を建てます

歴史の基本ですけど、「キリスト教」といっても、それは「一枚岩」と言うことを指すわけではありません。

当時の日本において、「イエズス会」の他に「スペイン系」と呼ばれる勢力が食い込んできました。

「フランシスコ会」、「ドミニコ会」、「アウグスティノ会」といった名前がそのうち出てきます。

っていうか、なんでフランシスコ会のやつら、堂々と布教すんねん!!

1580年のフェリペ2世の即位によりスペインとポルトガルは同君連合となりますが、むしろ国民感情は対立しました。

トルデシリャス条約で日本はポルトガルの担当地区と決められていたにも関わらず、スペイン系修道会はイエズス会が日本を独占していることに憎しみを覚えます。

【トルデシリャス条約】

1494年、地球の半分をスペインとポルトガルで分けようと勝手に線を引いた身勝手な条約。現在でもブラジルだけ公用語がポルトガル語である。

私もトルレスもスペイン人だから、って言うのが言い分らしいんですけど、ケンカしないで下さいね。

さらに、来日したフランシスコ会は、イエズス会が堂々と布教していないことも嫌います。

バカタレ!堂々と出来る状況じゃったらそうしてるわいっ!

ようやく貿易継続も決まって、教会再建も認めてもらえたっていうのに!

そんな状況下で、1596年、アカプルコに向かう予定であったスペイン船「サン・フェリーペ号」が土佐に漂着します。

ここで、漂着した乗組員を尋問したところ、乗組員が「とんでもないこと」を口走ったと言われています。

ジャポネーゼ、あんなー、知っとる?宣教師って尖兵みたいやでー。
ほんで、それを足掛かりに征服して植民地獲得してきたみたいなんやでー。
ま、ワシ、船乗りだから細かいことよーわからんけど。

これを聞いた秀吉は激怒。

大坂の宣教師逮捕とバテレン追放令の再交付を行ないます。

イエズス会のオルガンティーノはこの時、殉教を覚悟したそうです。

しかし、石田三成の計らいもあり、イエズス会は大丈夫、という確約を得ました。

問題はフランシスコ会。

信者含めて26名が処刑されることに決まりました。

この件でフランシスコ会とイエズス会の不和も決定的になります。

っていうか、やつら、あかんで。

秀吉殿に「ポルトガル人は他国民の日本渡航を妨げる」だの、「インド副王使節はニセモノだ」だの告げ口したの知ってるんやで。

おかげで長崎の教会堂もぶっ壊されたし。

ちなみにですね、「宣教師が尖兵」というのは事実ではないんですよね。

ペルーであれ、メキシコであれ、フィリピンであれ、軍事的侵攻のあとに宣教なんですよ。よく見ると。

1597年、長崎にて処刑実行。
日本26聖人の殉教」としてこの件が知られる。

コチラも