~「もう一つ上の日本史」出版に伴い、勉強方法も変える必要が出たので、全面改訂突入します~

☞【陸軍編2。戦略なき人事が国を滅ぼす】『日本人はなぜ戦争へと向かったのか』(2011年、NHK出版)

5名の論説で補充。【前編はコチラ

『陸軍を狂わせた人事システム』(森靖夫先生)

★山県有朋がいた時代は山県が陸軍省も参謀本部もコントロールしていたが、1922年、山県有朋死去。

★その時期は政党政治がはじまった時代。陸軍大臣を中心とする陸軍省優位のシステムが構築され、それに対して参謀本部は「軍事は政治に左右されるものではない」と統帥権独立の考えをより強く持つようになった。

★満州事変に国民が湧いてしまったため、陸軍自体も既成事実として扱わざるを得なかった。

陸軍省にいた人間が出先に回ったり、参謀本部にいた人間が陸軍省にいったりしているうちに、組織的なアイデンティティも崩れた

★数々の不祥事で大臣が辞めることがなかったことも問題。

失敗を認めると軍隊の統率が乱れることを恐れる軍人がほとんどなので、失敗は省みられず、「もう一打撃を与えれば」が延々と続く

★軍人が軍人を処罰することがそもそも限界。

陸軍の過ちは現代でも繰り返されている

『日本が陥った負の組織論』(菊澤研宗先生)

大改革をしなければいけないときは、むしろ組織に属さない人の方が向いている

荒木貞夫がポストを知人で固めたのはそれなりに合理性があるが、失敗するときも合理的に失敗する。

★板垣征四郎のように優秀だが危険でもある人物の取り扱いはなお難しい。

★成果主義の怖いところはモラルハザードを引き起こすこと。企業でも多い。目先の利益を優先するのはそれがコストも低く合理的であるから。(本当は長い目で見て遠い先の目的を狙った方が良い。)

二二六事件の後、派閥に属さない人間が取り立てられたが、全ての決定事項を民主的に決めるのは大きな取引コストが必要であり、経済学的には非効率である。その反動で人は独裁を求める。派閥人事は独裁と民主的の間であり、倫理学的には正しくないかもしれないが、経済学的には合理的である。

★行動経済学、経済心理学から見ると、マイナスの気分のときはもう1回勝負をしたいという真理になるために積極的な行動を起こすと言われている。この時代の軍人が、ポジションが変わった途端にガラリと態度を変える行動が歴史家を悩ませているが、現地にいた時と中央にいるときでの違いは行動経済学で説明がつく。

★エリートほど計算が早いので、その方が得だと思ったら空気に流される。空気は最初からあるものではなく作り出されたものである。全体にとっては空気を読まない人間が重要となってくる。

『内向きの論理・日本陸軍の誤算』(エドワード・ドレア)

非常にわかりやすいので、全文読めば、この時代のまとめにもなる。

民衆は不毛な議論ばかりしていて何もしていないように見える政党よりも、目に見えて行動している軍を支持した。しかし、他国に軍を駐留し続けることは軋轢を生んだ。

だが、本当の敵はソ連である。今すぐ近代化してソ連対策をしなければいけないという時点でほとんどの兵は中国にいた。中国から撤兵してソ連に備えようと考えても、中国での戦死者と、それに見合わない乏しい成果を考えると、引くに引けない。東京では引くことが考えられても、現地では考えられない。結果、「部隊を増やしてくれさえすれば相手を降伏させられる」という考えに至る。

陸軍士官学校制度も問題で、本来なら幅広い経験が必要だったのであろう。

『陸軍暴走の連鎖』(戸部良一先生)

石原は個性的で過激。そしてどこか宗教的。こういう人間の暴走を止めるのは非常に難しい。よほどの同調者が周りにもいたのであろう。部下がコンセンサスをつくってしまっていると上司はなかなか止められない。

やはり全体的に見てリーダー不在。戦略性の欠如。しかし、リーダーも戦略性も偶然出てくるものではないので、ある程度は育てないといけない。

日本陸軍から学ぶことがあるとすれば、内向きの思考はやめようということ

『なぜ日中戦争をとめられなかったのか』(加藤陽子先生)

1907年から1916年まで日露は第1回~第4回日露協約を結んでおり、関係良好であった。その後のロシア革命、シベリア出兵でその関係は終わる。ソ連側の第1次五カ年計画、第2次五ヵ年計画、日本側の満州国設立は明らかに将来起こる戦争に向けてであろう

しかし、日中国内にワシントン体制に対抗する国家連合として中国、日本、ソ連の連合を構想する勢力もあり、ソ連の評価は接近した時代もある。しかし、荒木貞夫は明らかに対ソ。近衛内閣における荒木入閣で陸軍はいつ政治主導で対ソ戦が始まるのかと懸念していたという。しかし、ソ連との兵力の差は明らかであった。とはいえ、軍備に欠陥があるとは言えなかった。

日本人の精神性の高さは言い伝えられているが、日露戦争でロシア人の敢闘精神は高かった:日露戦争の真実はコチラ

(余談)

平将門は自らの武力による新国家樹立の必要とされるゆえんを北東アジアにおこった契丹国による渤海国の制圧に求めていたという。(網野善彦、2000年、「日本とは何か」)つまり渤海国を助けようとした。それくらい東アジア情勢と日本は密接。