~「もう一つ上の日本史」出版に伴い、勉強方法も変える必要が出たので、全面改訂突入します~

☞【皇道派の首領ってどんな人?】『§1-1.派閥抗争が改革をつぶした(荒木貞夫編)』

★荒木貞夫が人間的に魅力のある人物であったことは確かであろう。しかし、人の上に立ってはいけなかったのであろうか。

★陸相になったら、不公平な人事を行い、皇道派と統制派の対立を先鋭化させ、さらにはゴーストップ事件で内務省とも対立。また、過剰な精神主義を押しつける。二二六事件で予備役に回ったが、その後、文部大臣に就任し、ここでも過剰な精神主義を押しつける。

★荒木が陸相だった時期はクーデター計画が頻発したが、いずれも成功しなかったことが、永田らに非合法な方法ではないやり方を模索させるきっかけになったのではないか。

昭和陸海軍の失敗』(2007年、文藝春秋)。

つづいて荒木貞夫編。この人も教科書的には「十月事件」で担がれたことと、「皇道派のドン」と呼ばれていたことくらいで、スルーされてしまう人であるが、どういうわけか近衛内閣時における文部大臣となり精神主義を推し進めた人物であることも押さえておきたい。

♨「十月事件」…中堅軍人である橋本欣五郎たちは料亭で宴会。桜会という幕末の志士を気取ったような組織。橋本に呆れた身内が密告、離反。ちなみに彼らの資金源をたどるとソ連に行き着くという書もある。(倉山満先生「満州事変」

【荒木貞夫】

写真はwikipediaより引用。

略年表

1877 東京都に生まれる。 一橋家家臣の長男。
1897 陸軍士官学校卒業(9期)
1904 日露戦争従軍
1907 陸大を首席で卒業(19期)(※1)
1914 第1次大戦では従軍武官としてイギリス軍と行動を共にする。
1917 ロシア革命にてロシア軍に従軍。

シベリア出兵ではウラジオストク派遣軍参謀を務める。(※2)
1931 十月事件のクーデター内閣で首相に予定されたが本人の希望もあり実現ならず。(※3)

犬養内閣において陸相に就任。(※4)
1932 斎藤内閣でも留任。

国体観念や精神主義を説き、「皇道派のドン」とされる。反共、反露を説く。青年将校を取り立てる人事を行うが、過激化する青年将校を押さえようとすると、彼らの人気を失うことに。(※5)
1933 ゴーストップ事件(※6)
1934 陸相辞任(※7)
1936 二二六事件。

反乱軍に同情的態度を示し、予備役へ編入された。(※8)
1937 第1次近衛内閣、平沼内閣において文部大臣。

精神主義、軍事教練を推し進める。(※9)
1948 A級戦犯として終身刑に(※10)
1955 仮釈放
1966 89歳で死去。

(※1)同期に真崎甚三郎(佐賀県)。この人は評判がイマイチ。

(※2)荒木は戦争経験が豊富。このあたりが下のものからの人望を集めた点でもある。一夕会の主力もそうであるが、陸軍士官学校16期より下は日露戦争に本格的に出征しなかった世代でもある。

(※3)橋本欣五郎、大川周明らに担がれる。

(※4)もともとは自分がボスとの認識はないような人であったのかも知れないが、陸軍大臣になって明らかに豹変。やたら「皇軍」と言う言葉を用い、「竹槍三百万本あれば列強恐るるに足らず」と本気で言うなど、過剰な精神主義へ傾いた。

♨過剰な観念論をふりかざしていたというのは「デマ」。とは倉山満先生。

また、陸相になれたのは永田らの功績もあったのだが、陸相就任後は「偏った派閥人事」を行い、統制派との対立を生む。作戦課長は皇道派の小畑敏四郎に。

もっとも派閥は民主主義と独裁の中間であり、効率的でもあるという考えも。

また陸相時代には天皇を退位させて、生後間もない皇太子を即位させる計画を持っていたという(その方がコントロールしやすいからであろうが、何という不遜!!)。

(※5)荒木は人気があったのであろう。あれほど自宅で部下と酒盛りをした上司はいないとの評も。

(※6)陸軍兵と巡査のケンカから内務省と対立。

(※7)正月の痛飲が原因。

(※8)石原莞爾に「この馬鹿野郎!」と言われてケンカになりかける。ちなみに五一五事件の時も犬養の親族に「お前のせいだ!」と言われている。

(※9)山川均ら左翼思想家を検挙、河合栄次郎東大教授らへの弾圧など軍国主義教育を推進した。もっとも、なんでこういう人を文相にしてしまったのだろう…と思う。

(※10)ひそかに自宅に帰り藤山一郎、淡谷のり子が慰問に訪れたりが許されていた。

【まとめ】

★荒木貞夫が人間的に魅力のある人物であったことは確かであろう。しかし、人の上に立ってはいけなかったのであろうか。

★陸相になったら、不公平な人事を行い、皇道派と統制派の対立を先鋭化させ、さらにはゴーストップ事件で内務省とも対立。また、過剰な精神主義を押しつける。二二六事件で予備役に回ったが、その後、文部大臣に就任し、ここでも過剰な精神主義を押しつける。

★荒木が陸相だった時期はクーデター計画が頻発したが、いずれも成功しなかったことが、永田らに非合法な方法ではないやり方を模索させるきっかけになったのではないか。

「人間的に魅力云々」と書かれているが、こういうタイプはおそらく職場に1人くらいはいるのではないかと思う。(西郷隆盛的ともいうか。)人間だからしょうがないが、露骨な派閥人事は結果として良くない。適度な敵対勢力の存在がいかに大切かとつくづく思う。

続いて、永田鉄山&東条英機編