~「もう一つ上の日本史」出版に伴い、勉強方法も変える必要が出たので、全面改訂突入します~

☞『昭和陸海軍の失敗』(2007年、文藝春秋:座談会)~陸軍編プロローグ~

副題は~彼らはなぜ国家を破滅の淵に追いやったのか~。

座談会のメンバーは半藤一利、秦郁彦、平間洋一、保阪正康、黒野耐、戸高一成、戸部良一、福田和也(敬称略)。

帯には「エリートを語ることで見えてくる日本型組織の弱点!!」と書かれている。「文藝春秋」読者賞受賞作品。

第1部が昭和陸軍、第2部が昭和海軍と言う2部構成。

座談会形式で進むが、基礎知識の必要性を感じたので、年表を作成しながら、読書メモを制作した。

各主要人物についての評価がされているが、「硫黄島からの手紙」で一躍有名になった栗林忠道陸軍中将ほどの知謀の士がなぜ軍の中で主流になれなかったのか?というのが第1部のテーマでもある。

まずは、教育制度についての基本的知識をちょっと調べてみた。

【陸軍の教育組織】

陸軍幼年学校→陸軍士官学校→陸軍大学校→参謀本部というのがエリートコースである。

幼年学校を経ずに陸軍士官学校に入るものもいるが、これは稀であり、出世コースではない。栗林忠道、今村均、本間雅晴はそのパターン【3人についてはコチラ】。

そのため、栗林忠道のように本来なら中枢にいてもおかしくないような人材が、出世できなかった。

♨そんな、中学生の段階で将来の活躍が約束されている人物なんて1人もいないぞ。高校野球で活躍した選手がプロで活躍できるなんて限らないのに。

★陸軍幼年学校…主に中学2年生(13歳~15歳)を選抜。仙台、東京、名古屋、大阪、広島、熊本に存在。競争率20倍以上。

★陸軍士官学校…陸軍「将校」養成施設。

★陸軍大学校…「参謀」養成施設。さらに難関。入学できるのは陸士の1割程度。士官学校と異なり、参謀本部直轄である

♨この「陸大」が「参謀本部直轄」というのが話をややこしくする1つの問題でもある。(後述)

【超エリート:陸大教育の問題点】

★陸大教育は日露戦争までは機能していたと思われる。しかし、「総力戦時代」に入っても、「戦術中心主義」を変えることができなかったのが問題点であろう。東条英機らは国際法などの知識もなかったのである。これについては陸大教育が間違っていたと言わざるを得ない。

★また、陸大が「参謀」を養成するのか、「指揮官」を養成するのか明確にしなかったために、「中途半端な指揮官意識をもった参謀」が数多く生まれてしまった。参謀なのに指揮官気取りで暴走をはじめてしまう始末。(これは主に辻政信のことを言っているのであろうか?)

兵站はやはり軽視されていたと考えられる。兵站を専門とする「輜重科」将校は陸大の受験資格がなかったのである。兵站参謀だった井門満明(46期)は、「輜重輸卒が兵隊ならばトンボ、チョウチョも鳥のうち」と最後まで軽視され、日中戦争において自分の意見は全く採用されなかったことを嘆く。

(♨一方、日中戦争レベルでは兵站は機能していて、太平洋戦争レベルの規模では兵隊が多すぎて兵站も機能しなかったことが問題とする意見も。【コチラ:ここまでわかった 太平洋戦争通説のウソ】)

続いて組織について。

【陸軍組織についての基礎知識】

★三長官…「陸軍大臣」(大臣)、「参謀総長」(総長)、「教育総監」(総監)が3トップ。陸軍大臣(陸軍省)が軍政・人事を、参謀総長(参謀本部)が軍令・作戦・動員を、教育総監(教育総監部)が教育をそれぞれ掌っていた。

★三機関の序列第2位の次席相当職として「陸軍次官」(次官)・「参謀次長」(次長)・「教育総監部本部長」(本部長)がある。

(ちょっとまぎらわしいけど、「大臣ー次官」、「総長ー次長」、「教育総監ー本部長」。実際は年代によってもっと細かかったりするが、とりあえずこれをおさえておく。)

<昭和中期の参謀総長>

⑭閑院宮載仁親王(1931.12.23-1940.10.3)→⑮杉山元(1940.10.3-1944.2.21)→⑯東条英機(1944.2.21-7.14)→⑰梅津美冶郎(1944.7.18-1945.11.30)。

皇族総長は象徴としての意味合いが強く実務は次長がやることが多く、次長の仕事はそのまた下、と決定権が下に下に移っていくことも日本的。(【杉山元の項参照】)

<陸軍大臣について>

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%99%B8%E8%BB%8D%E5%A4%A7%E8%87%A3

<教育総監について>

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%95%99%E8%82%B2%E7%B7%8F%E7%9B%A3

数々あるけど組織の問題点。

【陸軍組織の問題点①】~辻政信の暴走を許してしまったシステムの欠陥~

★まずは歴史を紐解くと、明治11年(1878)、山縣有朋が参謀本部を組織。(竹橋事件ののちである。)これにより、参謀本部長が司令部を統制できる制度を作る。

これは政治的に対立していた谷干城、三浦梧楼らの力をそごうとしたためでもある。

参謀本部が配下の参謀を通して、「これが天皇の作戦だ」と作戦を立案すると、司令官はそれを破棄するわけにはいかなくなるのだ。

作戦を立案する参謀を「幕僚統帥」と呼んだ。

通常は「司令官」の部下が「参謀」であるが、このあたりが日本の特殊な点である。

♨たとえて言うなら、各病院の部長がそれなりに仕事をしていたところ、大学病院から1人派遣されて、あれこれ指示を出し始めるみたいな感じ、か。もっとも全員がそうだったわけではなく、主に、辻政信くらいなのだろうけど。彼がその時代にいて、上司も田中新一であり杉山元であったことが不幸でもあり。

実際に辻は「天皇の命令である!」とウソを言いながら、自分の作戦を言いまわっていたりもした

【問題点について②】~内部で争う体質~

★有事の際はまとまる、と思いきや、有事の際も内部で争う体質が変わらなかった。

成果も失敗も正当に評価されなかったことが問題か。

★戦争指導体制もついに確立しなかった。イギリスの戦争指導部はチャーチル、閣僚、参謀クラスが6畳1間に泊まり込みで話し合っていたのとは大違い。

アメリカも徹夜で研究していたが、日本は18時にはおしまい。

精神主義を唱えていた割には実際にやっていることはそうでもなかった

いつの間にかサラリーマン化。

★日清、日露戦争時は機能していたが、結局、陸大教育が複雑な情勢変化についていけなかったのが敗因ではないか。

【問題点③】~政治家の責任~

★政治家の責任も重い。原敬は軍人の意見も聞くよう努力していたが、その後は政治家の質も低下してきて、軍を党勢拡大のために利用しようとする人が増えた。(普通選挙法の影響もあるか?)

★それにより軍人も政治家を軽蔑するようになり、政治介入することに。しかし、軍人が政治分野まで考えることは難しい。

♨井上寿一先生は政治家の責任を強く指摘している。(【コチラも】

【問題点④】~功名心~

★戦争経験の有無。バーデンバーデン組以下は戦争経験がない。実戦経験のある人はいかにして戦争を止めるかを考えるが、ない組は戦争を観念でとらえてしまいがちである。

★満州事変を成功させた石原莞爾に対して、ジェラシーにも似た気持ちを抱いていた武藤章など、各参謀たちの功名心もあったか。

「かつての幼年学校のように少年時代から軍人教育を吹き込むことの結果はどうだったか。また、一高・東大と言った秀才教育はどうだったか。防大創設時にはまず軍人精神の大事であることはもちろんだが、同時に軍人は国民教育と言うか、国民的精神を第一とし、第二は国民精神が撃ち込まれた教育であっても卒業者は人間であり、人間愛を理解するものでなくてはならない…」(吉田茂)

これは名言。

読書メモ:第1部第1章:宇垣一成編へ

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