~「もう一つ上の日本史」出版に伴い、勉強方法も変える必要が出たので、全面改訂突入します~

近年の研究ではミッドウェーが敗戦のきっかけではなく、むしろその後のガダルカナル攻防戦が大きかったと言われている。

ミッドウェー(1942年6月)からガダルカナル攻防戦開始までの間はわずか2ヶ月

そして、敗退から学ぶこともあるが、奮戦から学べることもあるということも覚えておきたい。(【キスカ島撤退戦など:コチラ】)

1941年

12/8 真珠湾攻撃

★軍令部は渋っていたが、山本五十六が「やらないのなら辞める」と迫る。真珠湾攻撃そのもので米国に打撃を与えたことは確かだが、これが戦略的に正しかったのかどうかが議論の対象である。(※1)

★【航空隊より先に突入した部隊】
小型潜航艇「甲標的」で攻撃を試みたが失敗。これにより警戒態勢が敷かれると思いきやそうでもなかった。なぜそうだったのかはまだ未解明。その後の航空機による奇襲で戦艦部隊を失う。(のち修理されて復活するのだが。)

★【大使館員の怠慢で宣戦布告は遅れたというのはウソ】(元外務官僚の井口武夫氏らによれば、宣戦布告遅延の原因は大使館側ではなく、マレー半島への奇襲を成功させようと外務省を脅迫した陸軍にあった、という考え。今後、さらなる研究が、待たれる。「太平洋戦争 通説のウソ」)

★この直前には日本陸軍が英領マレー半島に上陸作戦開始。
12/10 マレー沖海戦

★日本の航空部隊により「プリンス・オブ・ウェールズ」、「レパルス」撃破。

♨航空部隊が戦艦に勝利した意義は大きい。つまり、航空の時代の到来を意味したのだった。
12/16 英領ボルネオ上陸

戦艦大和就役

★戦艦大和は「無用の長物」ではない?→【コチラ
12/23 ウェーク島上陸
12/25 香港占領

★1841年以来、英国領だった。日本は「解放者」を目指す。

(※1)「長期戦になると不利だから最初に打撃を与えて、有利な条件で講和」という頭があったようだが、日本人に大和魂があるように、米国人にもアメリカ人魂がある。そうそう思い通りに行くはずがない。このあたりが「独善的」と言われるゆえんである。それどころか、建国以来の「孤立主義」により、第2次世界大戦への参戦を否定していた国民感情も、これにより参戦1本にまとまってしまった。なぜこんな愚かな選択をしたのか?という点から山本五十六がスパイだった?などという論まで出てしまうのだが、これは後付けの理論であろう。「奇襲」がやたら好きというのは、第2次世界大戦前に編纂された「日本戦史」というものが、「桶狭間の奇襲」などを盛んに取り上げたことにあるであろう。(そもそも「桶狭間」は奇襲じゃなかったのに)これらの多くは江戸時代の講釈本がネタになっていたりして、史実とは異なる。また、もう少し開戦時期を待っていればドイツの劣勢が明らかになり、別のオプションがとれたはずだし、そもそもイギリスの東南アジア植民地だけ攻撃してれば米国国民が戦争を拒否した可能性だってある。いずれにしても、「点」で成功したものの、太平洋戦争と言う「線」で見るとこの真珠湾攻撃は失敗だったと思う(2019/08/01時点)。

1942年

1/2 マニラ占領
1/11 セレベス島上陸
1/23 ラバウルに上陸開始
2/14 パレンバンに落下傘部隊降下
2/15 シンガポール占領

★「マレーの虎」こと山下奉文中将。マレー半島上陸作戦では優れた兵站システムが機能して快進撃。わずか55日で1100キロを走破。3万5000人で13万を超えるイギリス軍を降伏させる。
2月★【日本軍はアメリカ本土を攻撃できなかったというのはウソ】

(上陸こそしなかったが、この時期に攻撃していた。また、1944年11月から1万個にも及ぶ「風船爆弾」を偏西風に乗せて飛ばしていた。死者も出ていたが混乱を避けるため、アメリカは公表せず。「太平洋戦争 通説のウソ」(2017年、彩図社)より)
3/8 ラングーン(ビルマ)占領
3/12 マッカーサーがフィリピンから豪州へ脱出

♨「I shall return」は有名。米軍兵士の中で、トイレに行く時でも冗談でこの言葉が使われたというが。
4/8 本土初空襲
5/7-8 珊瑚海海戦
5/10 フィリピンの米軍が降伏

★バターン半島で投降した米軍捕虜を収容所へ移動させたのは、「バターン死の行進」と呼ばれた。(マッカーサーが逃げるからこういうことになるんだが・・・)

♨移動させる方が大変。
5/18 米豪遮断作戦準備命令
6/5-7 ミッドウェー海戦

♨「ミッドウェー」という名前からもこれを機に日本が暗転すると書かれている書籍も多いが、本当に暗転したのはガダルカナル攻防戦に敗北してから、という論評が近年は主流のように見受けられる。ミッドウェーの時点ではまだ日本有利。

♨【東条英機はミッドウェー海戦の敗戦を知らなかった?→コチラ
6/7 アリューシャン作戦

★ミッドウェーの失敗は新聞などで報じられず、アリューシャン作戦の成功が報じられた。
8/7 米軍ガダルカナル島上陸

★日本軍はガダルカナル島に飛行場を建設していたが、完成間近で米軍にとられる。これを奪還すべくガダルカナル島攻防戦となった。

★敵の戦闘能力を甘く見ていた日本陸軍は部隊の逐次投入という失敗を犯す。

★歴戦のベテランパイロットの多くを失ったことも痛い。

★輸送船も多数被害。

★翌年2月から撤退が始まったが、大本営はこれを「転進」と取り繕った。(これに違反すれば新聞会社は発売禁止、廃刊させられる可能性があった。)【瀬島龍三

♨この時期の田中新一の主張はコチラへ。【昭和陸軍の軌跡
8/8-10 第1次ソロモン沖海戦
9/24 ニューギニア、ブナへ後退開始
12/8 ニューギニアのバサブアで日本軍全滅

1943年

1/2 ニューギニアのブナで日本軍全滅
2/1-7 ガダルカナル島撤退

撤退戦ではニセ情報を流して日本兵を救出するなど、日本の情報部隊の能力は決して低くなかった
3/2-3 ビスマルク海で輸送船団全滅
4/18 山本五十六が戦死

♨米軍による「暗殺説」に加え、カッコつけての「自殺説」というのもある。

♨米軍「山本より優秀なのが司令官になったらどうしよう?」「大丈夫、山口多聞はもういませんから。」米軍が真に恐れていたのは山口多聞だったらしい。(ミッドウェーで戦死。)
5/29 アッツ島玉砕

★アリューシャン列島のアッツ島に上陸した米軍を迎え撃った日本軍2600人は戦死。生存者は捕虜となった30人足らず。「玉砕」という言葉が初めて公式に用いられた
7/29 キスカ島の日本軍撤収

「パーフェクト・ゲーム」と敵将からも称賛された。「太平洋戦争の新常識」は【コチラ】。
8/6-7 ベラ湾海戦
9/8 イタリア降伏
9/22 米、豪、カエル跳び作戦開始
10/2 ソロモン諸島のコロンバンガラ島の日本軍撤退

★日本軍はコロンバンガラ島に飛行場を作り、兵力も強化していたが連合軍は、海上交通を押さえ、コロンバンガラ島は素通り。
10/21 第1次出陣学徒壮行会

★文科系学生らについても徴兵検査が実施され、明治神宮で壮行会。
10/22 大本営、関東軍兵力の転用決定
11/5 大東亜会議開催

★【「アジアは1つだったのか?」の項も参照を

★フィリピン、ビルマ、タイ、満州、南京国民政府(汪兆銘)ほか、インドからチャンドラ・ボースが参加 

第1次ブーゲンビル島沖航空戦
11/24 マキン島の日本軍全滅
11/25 タラワ島の日本軍全滅

1944年

2/2-5 ルオット、クエゼリン島日本軍全滅
2/17-18 米機動部隊、トラック島空襲
3/8 インパール作戦開始

★援蒋ルート遮断を目的に陸軍はインドに侵攻。しかし、輸送用の牛も食糧に転用する「ジンギスカン作戦」はすぐに破綻。

★「補給軽視論」については、そうではない、という説も

【日本軍は兵站を軽視していたというのはウソ】

たしかに兵站準備不足のあった戦はあったが、日本軍全体をみると、かなり高度な兵站システムが構築されていた。有能な人材が集められ、事実、中国ではインパールのような悲劇は起こっていない。マレー半島上陸作戦は成功。兵站システムは成功していたが、兵員そのものが開戦時の10倍近くになったことが問題。(「太平洋戦争通説のウソ」(2017年、彩図社)

♨「一時期までは機能していた」と考えれば良いか。
3/30-31 米機動部隊、パラオ島空襲
4/17 大陸打通作戦開始

★中国国民党政府へ最後の攻勢
6/19-20 マリアナ沖海戦

★日本機動部隊全滅、米軍のレーダー網に捕捉され米軍の圧勝。
7/5 インパール作戦退却命令
7/9 サイパン玉砕

★戦闘に巻き込まれ多数の民間人が犠牲。自決者の飛び降りた崖は「バンザイクリフ」「スーサイドクリフ」と呼ばれている。

★大本営発表もいよいよ不利な状況は隠せないとして、国民に覚悟を促すことを狙った内容に変わった。
8/3 ビルマのミートキナ失陥
8/3 テニアン玉砕
8/11 グアム玉砕
10/12-14 台湾沖航空戦
10/23-25 レイテ沖海戦

★有名な「栗田ターン」はこのとき。

【レイテ沖海戦は栗田ターンがなければ勝てたというのはウソ】

「太平洋戦争 通説のウソ」より。

そもそも栗田は囮作戦を知らされていなかったし、敵軍の方が兵力があったし、栗田艦隊も疲弊していたので、連合艦隊はここで全滅していた可能性もあった。
10/25 フィリピン沖海戦で特攻攻撃開始

★正攻法では勝てないとなり、特攻作戦が開始。そのなかの1つが米軍護衛空母1隻を撃沈させたことから、体当たり攻撃が日本軍の通常の攻撃となっていく。

神風は有効だったのか?→コチラ

1945年

1/9 米軍、ルソン島へ上陸
2/19 米軍、硫黄島上陸

★日米の中間地点(小笠原諸島)に飛行場を確保することが米軍の狙い。洞窟陣地に立て籠もった日本軍全滅。

★【硫黄島からの手紙】と映画にもなった。名将の誉れが高い栗林忠道原作である。

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感想(13件)

★2月の時点で近衛は終戦すべきと上奏していたとのこと。
3/10 東京大空襲

★民間人へ思いっきり攻撃しているが…、それこそ平和に対する罪では?(怒)。夜間、じゅうたん爆撃。

♨もちろん、日本軍も中国において民間人への空襲は行っている。指揮したのは米内光政。(穏健派でもなんでもないじゃん…)→【副島先生の思想劇画はコチラ
3/25 硫黄島玉砕
3/26 米軍、沖縄上陸

★【沖縄は「捨て石」だったのか?はコチラ。沖縄戦は6月23日終結。
4/1 米軍、沖縄本島へ上陸開始
4/7 戦艦大和沈没

★【戦艦大和は不沈艦だったのか?はコチラ
4/24 ルソン島山中の日本拠点 バギオ陥落
5/3 英軍、ラングーン占領
5/8 ドイツ降伏
6/23 沖縄戦終了
8/6 米、広島に原爆投下

★「原子爆弾の開発をルーズベルトに進言したのはアインシュタイン。このユダヤ系ドイツ人亡命科学者はナチスが先に原爆開発に成功することを恐れた…」と書かれると何かアインシュタインが悪いことでもしたような文面にも見て取られるが、そのアインシュタインが恐れたのは、毒ガス兵器などを開発したフリッツ・ハーマーであろう。彼もユダヤ人であり、ナチスが政権を握ると迫害される。

【原爆投下はトルーマンが主導したというのはウソ】

「太平洋戦争 通説のウソ」より。

グローブスをはじめ、軍部が押し切った。トルーマンはソ連への牽制は望んだものの、一般市民の殺戮まで望んでいなかった。
8/9 ソ連参戦

★シベリア抑留のはじまり。

★ソ連参戦情報をつかんでいた!諜報の神様こと小野寺信により伝えられる(5/24)も軍部に握りつぶされる。【「太平洋戦争の新常識」はコチラ

★外務省も危険を知らされていたが、対米優先のあまり国策を覆そうとしなかったのかどうかわからないが、ソ連参戦情報を軽視して、むしろ仲介をソ連に頼もうとしていた始末。(「太平洋戦争 通説のウソ」)

★【日本軍は情報戦技術がなかったというのはウソ】
実は情報能力は高かったが、それを活用する仕組みが国家として整備されていなかった。陸海軍の連携不足しかり。情報を共有しないのは悪しき伝統。(「太平洋戦争 通説のウソ」より)

★さらには原爆投下の予兆までつかんでいた。(もちろん、対策を考えたとしても迎撃はできなかったであろうが。)

★もっとも、陸海軍が仲が悪いのは日本だけではない。(米国でも陸軍マッカーサーと海軍ニミッツの確執など)

長崎に原爆
8/11ソ連、南樺太侵攻

★占守島が有名であるが、ソ連が国際法に反して侵略してきたのは占守島だけではなかったのだ。【太平洋戦争の新常識
8/14 ポツダム宣言受諾
8/15 玉音放送
8/17 占守島での戦い

★国際法に違反してソ連が攻めてくるのを撃退。
8/20 マニラで降伏文書受領
8/26 満州虎頭要塞で関東軍と在留邦人がほぼ全滅

★かつては一方的な戦いと思われていたが、この戦でソ連軍に対して大奮戦したのだった。(「太平洋戦争 通説のウソ)より」
9/2 ミズーリ艦上で降伏調印

※重光葵(政府代表)、梅津美治郎(軍部代表)。
→【連合国から恐れられた重光葵、「太平洋戦争の新常識」はコチラ
9/5ソ連、千島列島までを占領
9/21日米により停戦要求が行われ続け、ようやくソ連は戦闘終結。

今回、参考にした書籍↓

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