~只今、全面改訂中~

こんにちは。

今回は、「1941年、12月」をご紹介したいと思います。

10月に東条内閣が誕生して今後の方針を練り直しました【コチラ】。

11月に日米交渉が不調に終わり、開戦を決意しました【コチラ】

そして、運命の12月を迎えます。

以下、「総力戦のなかの日本政治」、「データで見る太平洋戦争」、「太平洋戦争 通説のウソ」などを参考にさせて頂きました。

【年表】1941年12月

7日ハル・ノートに対する回答覚書を打電
・アメリカによって、太平洋の平和維持を確立しようとした日本の希望は失われたこと、アメリカとの交渉が妥結に達することはないと認めたことを通告
・到着時には既にアメリカには解読されていた
この通告が米国に渡される前には真珠湾攻撃が開始されていた
(攻撃開始が13:30頃、ハルが通告を手にしたのが14:20頃、ハワイはまだ朝。理由はともかく「通告の遅延」はハーグ条約の規定に反するものであった。)
8日真珠湾攻撃 (vs アメリカ)

★連合艦隊司令官:山本五十六
・海軍軍令部は真珠湾攻撃を渋っていた。しかし山本五十六は「やらないのなら辞める」と迫った。
山本は開戦初期に効果的な一撃を与えてアメリカを足止めし、同時に南方作戦を開始する作戦だった
・米国に打撃を与えたが、かえって国民感情を1つにまとめてしまった。戦略的には失敗。
・空母が不在であったため、攻撃することができなかったのも問題。

★宣戦布告が遅れて「奇襲」となった
・長らく大使館員の「怠慢」で宣戦布告は遅れたと言われている。
・しかし、元外務官僚の井口武夫氏らによれば、宣戦布告遅延の原因は大使館側ではなく、マレー半島への奇襲を成功させようと外務省を脅迫した陸軍にあった、という考え。(「太平洋戦争 通説のウソ」)
東京から送られた対米回答の電報の重要性はワシントンの大使館では十分に理解されていなかったため、解読とアメリカ側への通告に時間がかかった、という説も。(須藤眞志「真珠湾<奇襲>論争」:2004)

真珠湾攻撃の直前に日本陸軍が英領マレー半島に上陸作戦開始
・こちらは宣戦布告なし。
・マレー半島を南下してシンガポールを攻略することが目標。

中立国タイへの進駐も行われる
・タイ軍との戦闘もみられた。
・12月中に同盟条約を締結。
・タイはマレー攻略、ビルマ攻略(1月予定)に必要な地域だった。
10日マレー沖海戦(vs イギリス)
【マレー作戦:wiki】


日本の航空部隊により「プリンス・オブ・ウェールズ」、「レパルス」撃破
・戦艦と空軍、どっちが強いのかという論争が長らくあったが、今回、日本の航空部隊が戦艦に勝利したことは「航空の時代」が到来したことを告げた。

♨日本人アメリカに負けたことだけ知っている人が多いが、ひそかにイギリスをボコボコにしており、イギリス人の中には日本にやられたことを根に持っている人もいるので注意、と倉山満先生がどこかで書いておりました。
11日ドイツ、イタリアもアメリカに宣戦布告
・三国の完全な了解がなければアメリカ、イギリスと休戦、講和を行わないことを約束した。
・独ソ講和の斡旋については触れられず。(ドイツがソ連を打倒すると希望観測。)
16日英領ボルネオ上陸(日本 vs  イギリス・オランダ)
【英領ボルネオ作戦:wiki】

戦艦大和就役

★戦艦大和は時代遅れという意見もあるが、「無用の長物」ではないという意見も。→【コチラ
23日 ウェーク島上陸(日本 vs アメリカ)
・ウェーク島はアメリカの基地をもつミッドウェー島とグアム島の中間に位置し、米守備隊が配置されていた。

【ウェーク島の戦い:wiki】

・ほかマニラ、グアム、ギルバート諸島などの攻略戦も行われる。
25日 香港占領 (日本 vs  イギリス)
【香港の戦い:wiki】【栗林忠道:wiki】

★1841年以来、英国領だった。日本は「解放者」を目指す。

開戦と国民感情

憲法学者・宮沢俊義(東大教授)

「とうとうやりましたな。」

政治学者・矢部貞治(東大教授)

「歴史的な時代の1日だ。」

ルーズベルト

「リメンバー・ハールハーバー」

戦争を冷めた目で見るものもいましたが、多くの日本人は日米英開戦を熱狂で迎えたようです。

(もっとも、その時点では後の悲惨な結果を想像していなかったと思いますが…)

一方、アメリカ国民は休日の朝に奇襲攻撃を受けたことで怒り心頭。

「リメンバー・ハールハーバー」を合言葉に国民が反日にまとまりました。

まとめ

【1941年12月】

8日、真珠湾攻撃およびマレー作戦開始。

これによりアメリカ、イギリスと開戦となった。

アメリカ艦隊に打撃を与えて足止めに成功し、南方作戦も順調に進んだ。

しかし、アメリカの国民感情を1つにしてしまったこと、空母は攻撃できなかったことが誤算。

(一方、イギリスにとっては大事な戦艦を沈められて大打撃を受ける)

栗林忠道(香港戦)、今村均(インドネシア戦)、本間雅晴(マニラ戦)

つづきはコチラ