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☞【東条内閣誕生、作戦練り直し】「1941年10月」

こんにちは。

今回ご紹介しますのは、「1941年10月」についてです。

この時までに陸軍からは「対米英蘭即時開戦論」が出ておりました。

日米首脳会議を実現できなかった近衛文麿は退陣し、東条英機が首相に就き、帝国国策遂行要領の練り直しが行なわれます。

それにしても、国の根幹に関わる重大決定がかなり短期間で決定されたことには驚きました。

以下、「総力戦のなかの日本政治」を参考にさせて頂きます。

1941年10月までの状況

日米交渉は暗礁に乗り上げる。近衛は首脳会談を希望するが、「ハル4原則を譲る考えはない」と受け入れられず。アメリカは対日石油禁輸(8/1)。【コチラも】

(※ハル4原則・・・①領土保全と主権尊重、②内政不干渉、③通商機会均等、④これまでの軍事行動の否定)

・陸軍は南部仏印進駐(7月)。陸軍参謀本部は即時開戦主張。海軍はなるべく決定を引き延ばそうと画策。

・昭和天皇、9月6日の御前会議で明治天皇の和歌を詠む。(「よもの海 みなはらからと思う世に など波風の 立ち騒ぐらむ)・・・(四方みな兄弟と思っているがなぜこんなに争いが行なわれるのだろう、的な。)

御前会議で「帝国国策遂行要領」が決定。日本の要求を貫徹しうる交渉ができるかできないのかの期限を10月上旬に定める

・ドイツとソ連は6月から始まった独ソ戦の最中。

・チャーチルとルーズベルトは大西洋憲章を発表。(8/14)

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【年表】1941年10月

2日野村ーハル会談
・改めて「ハル4原則」が会議のテーブルにつく基本と言い渡される
9日木戸幸一(内大臣)から近衛文麿(首相)へ意見
・御前会議の決定は唐突ではないか
・すぐに対米戦を決意するのではなく、日中戦争の完遂を第一義とすべく、攻勢をかけてはどうか
・国民には日本のおかれている立場を理解いてもらい、臥薪嘗胆に努めるべきではないか
12日近衛の自邸で五相会議
・東条(陸相)は中国からの撤兵に反対
15日近衛文麿、辞任決定的
・東条陸相は東久邇宮稔彦を首班とする案を出す
・難局を皇族に委ねることはできないとの理由で重臣会議は東条を推薦
・この際、御前会議の決定にとらわれず慎重に考えてくれとの言葉もあった
18日東条内閣誕生
・東条が陸相、内相を兼任。軍と警察、両方を掌握した。
・星野直樹(内閣書記官長)、岸信介(商工大臣)など満州国時代に共闘した仲間が入閣
・外相には豊田貞次郎から東郷茂徳へ交代。東郷は開戦に慎重派。
23日大本営政府連絡会議で帝国国策遂行要領再検討
・11/1には御前会議に提示すると決定
・永野修身(海軍軍令部総長)・・・石油の消耗を考えると早期に決めたい
・杉山元(陸軍参謀総長)・・・すでに引き延ばされているのでもう待てない
30日東条から開戦に関する3案
①戦争することなく臥薪嘗胆
②即時開戦
③戦争決意のもと、作戦準備と外交を併行
最終的に11月30日を最終期限として帝国国策遂行要領決定。
(12月1日午前0時までに対米交渉が成功すれば武力発動は中止とする。)

【1941年11月はコチラ】