~只今、全面改訂中~

こんにちは。

今回ご紹介しますのは、『教養としての昭和史集中講義』より、「日米開戦」についてです。

日米開戦は避けることができた

ルーズベルトは真珠湾攻撃を知らなかった

大東亜共栄圏は後付け理論

組織対立が最悪の事態を生んだ

日米開戦は避けることができた

東南アジアのイギリス植民地を攻めていればどうなったか。

→イギリスは植民地を維持する方針であったが、アメリカは反植民地の考え。フィリピンの独立を認める法律も1930年代に作っていた。

よって、アメリカがそれに対して戦争に訴えることはなかったであろう。

フィリピンを攻めていればどうなったか。

→すでに独立を認めているので、真珠湾攻撃の時のように国民感情が湧きあがったかは疑問。

それでもなぜハワイを攻撃したのか?

→戦力差が圧倒的だったので、奇襲攻撃で相手の出鼻をくじき、早めに和平を結んで本格的な開戦を避けるしかなかった、と考えていた。

(ただし、海軍では机上演習で日米開戦となった時、真珠湾攻撃は下策中の下策と教えられていた。パラオやサイパンに軍事拠点を設け、アメリカを太平洋に出てこさせないのが重要と教えられていた。)

しかし、これはまさにアメリカにとっては理想の展開。

(※国民は不介入主義だったが、ルーズベルトはいつかドイツを叩かないといけないと思っていた。そこへドイツの同盟国の日本が攻撃してきた。これでドイツも日本も攻撃対象に。ドイツへは陸軍、日本へは海軍と戦線の分担も可能)

ルーズベルトは真珠湾攻撃を知らなかった

ルーズベルトは日本の真珠湾攻撃を事前に知っていたという「ルーズベルト陰謀論」は根強い。

しかし、まともな研究者はこれを否定。

(※もっとも、いつか攻撃を受けることは予想されており、その場所はフィリピン、と予想していました。)

ロッキード事件における「アメリカ陰謀論」、日本の「アメリカ属国論」など、日本社会の時々の状況に即してアメリカ陰謀論を唱える人が現れる。

しかし、現実には彼らがが考えるような陰謀論は成立しない。

もし知っていたらどうなったか?

わざわざ大損害を出さないだろう。

軍艦を湾外に移動させて攻撃させれば、被害は最小限に抑えられ、だまし討ちされた、という事実だけが残る。

大東亜共栄圏は後付け理論

日本にとって「アジアの開放」が目的であれば、やはり、アメリカとは戦う必要はありませんでした

そもそもなぜ南方進出したのか?

日中戦争の解決のため。

蒋介石に軍事物資を援助するルートがあるから戦争が終わらない、と判断した。

(局地戦では勝っているのに、なかなか終わらないのはこれだ、と。)

この「援蔣ルート」が東南アジアにあるから、南方進出した。

ABCD包囲網とは何か?

A(アメリカ:America)、B(イギリス:Britain)、C(中国:China)、D(オランダ:Dutch)によって、日本が追い込まれているとする軍部が考えたプロパガンダ。

国民の危機意識を煽った。

しかし、これら4国は決して一つにまとまっていたわけではなかった。

大東亜共栄圏は冗談?

近衛内閣でブレーンを務めた東京帝大の矢部貞治という政治学の教授が日米開戦を正当化するために「大東亜共栄圏」という言葉を用いたところ、話を聞いた東京帝大の当時の学生たちはげらげら笑ったそうです。

英語を学び、英語圏に敬意をもっている学生たちにとっては荒唐無稽な発想に思えたようです。

組織対立が最悪の事態を生んだ

「大東亜戦争」の正当性を主張する人たちには、陸海軍の組織利益の対立についてどう考えるかを問いたい。

アジアの解放が目的であれば、なぜアメリカと戦争したのか?

陸軍の当初の考えは?(1939年まで)

★アメリカの経済制裁は脅威。1940年いっぱいで日中戦争が解決しなければ中国大陸から撤退するつもりでいた。

★それにより対ソの備える。

しかしなぜ日米開戦に結びついたのか?

★第2次世界大戦におけるドイツの快進撃に日本が便乗しようとしたから。

★欧州はドイツ、イタリアが新秩序を、アジアは日本が新秩序を作るという意気込み。

(そのためにも南方進出しよう、と。そのため軍部はABCD包囲網というプロパガンダをつくり、戦争を正当化する必要があった。)

★さらに1941年、松岡外相は勝手に日ソ中立条約を結び、これでアメリカは手出しして来ないだろうとタカをくくってしまった。

(余計にアメリカの態度を硬化させることに。)

★厳しい経済制裁をするアメリカといっそ戦争した方が良いのではないか、と海軍主戦派が主張する事態に。

陸軍と海軍の組織対立

★陸軍「我々は中国大陸で頑張っている。海軍がアメリカと戦えないなんてことはないだろ?そのために予算獲得してきたんだろ?」

★海軍「組織利益を守るために戦わないとしゃあないな・・・」

(現代人「え・・・?」)

東條英機の考え

★近衛内閣で陸相をやっていたとき→「日米開戦だ!」

★首相就任時、天皇が非戦派であることを知り→「対米開戦白紙撤回!」

★最終的に→「1941年12月までに交渉がまとまらなければ戦争」

→交渉失敗すれば外務省の責任、成功すれば自分の手柄!仮に開戦しても戦うのは海軍!

組織利益を守って全体の利益を克服できなかったという例はいつの時代も存在

「国民の厭戦気分」は敗因21か条の1つに挙げられております。

【年表】1941年~1945年(終戦まで)

1941.4.13日ソ中立条約
昭和史講義(コチラ)では松岡のスタンドプレーではないと擁護。】)
1941.6.22独ソ戦勃発
1941.7.28南部仏印進駐
(援蒋ルートを遮断すれば中国が降参すると思った→アメリカは態度硬化。石油輸出禁止)
1941.8.14大西洋憲章(英米)
1941.10.18第3次近衛内閣→東條英機内閣
1941.12.8真珠湾攻撃
1942.6.5ミッドウェー海戦
1943.2.1ガダルカナル島撤収作戦
1943.11.5大東亜会議
※大西洋憲章がモチーフ。外務大臣重光葵は敗戦準備として考えていた。
1944.6-本土空襲
1944.7.9サイパン陥落
1944.7.22東條英機→小磯国昭内閣
1945.2.11ヤルタ会談
1945.4.1沖縄戦
1945.4.7小磯国昭→鈴木貫太郎内閣
1945.8.6広島原爆
1945.8.9長崎原爆、ソ連参戦
1945.8.14ポツダム宣言受諾