こんにちは。
今回ご紹介しますのは、「ルーズベルトが犯した19の失策」(日米開戦編)です。(前回まではコチラ)
「第2次世界大戦参戦」はそもそも、「公約違反」ですし、「議会を無視」した行動でした。
以下、「フーバー大統領が明かす日米開戦の真実」第3章「ルーズベルトが犯した十九の失策」を参考にさせて頂きました。
【失策5.】日独に宣戦布告なき戦争を始めた
1940年の大統領選での公約にルーズベルトは大戦へ参戦しないことを掲げておりました。
しかし、当選後、欧州へは「武器の貸与」、そして日本へは「経済封鎖」を行いました。
パリ不戦条約批准の際、ケロッグ米国務長官は言いました。
「経済封鎖は戦争行為である」と。
しかし、ルーズベルトは日本に対して、「日本の在米資産凍結」(1941/7)、「石油禁輸」(1941/8)をするのです。
フーバーはこれを「宣戦布告なき戦争である」と非難しております。
【失策8.】日本への全面経済制裁
日本への「経済制裁」は、
「そんなことをすれば日本と戦争になります」
という意見もありましたが、これらは無視されました。
「失策」というよりは「意図的な挑発」と見るべきでしょうか。
(一方、フーバーは日本の戦争は「自衛のための戦争」と評価しております。)
【1941年8月の大西洋憲章】
この時、ルーズベルトはチャーチルに「おれに任せろ」「3ヶ月は日本を適当にあやしておくから」と言ったそうです。(「How War Came」Forrest Davis, Earnest Lindley)
【失策9.】近衛和平提案を拒絶(1941/9)
1941年9月に近衛が提案した条件は、「ほぼアメリカの目的を達成する」ものでした。
(唯一、満州返還は書かれておりませんでしたが、議論の余地は残しておりました。)
しかし、ルーズベルトは大西洋憲章時に「3ヶ月はあやしておく」と言っているように、最初から戦争する気です。
近衛は「誠意を持てば通じる」と考えておりました。
しかし、このあたりは「米国は戦争する気だ」とかかっていた軍部の方が正しかったと言えるでしょう。
※近衛が「アメリカ国民」に向けて働きかけをしていたらどうなったでしょう。「日本は和平を望んでいるのにルーズベルトは戦争に追い込もうとしている」と訴えるべきだったかも知れません。
コチラもオススメだそうです。(↓)
近衛文麿野望と挫折 [ 林千勝 ]価格:2,530円 (2021/4/24 15:57時点) 感想(0件) |
【失策10.】日本の3ヶ月現状凍結案を拒絶(1941/11)
これは1941年11月のことです。
昭和天皇が「3ヶ月冷却期間を置こう」と提案しましたが、ルーズベルトはこれを拒否します。
いわゆる「乙案」。【1941年11月:コチラも】
独ソ戦はまだ始まったばかりでしたが、3ヶ月経てば情勢がどうなっていたかわかりません。
もし、ドイツの守勢が明らかとなってくれば、日本軍の強硬派も対英米開戦を主張したでしょうか。
米軍高官も乙案を受け入れるように進言しておりましたが、3ヶ月も経つとルーズベルトの「開戦目論見」が外れる可能性も出てきます。
(ルーズベルトは戦争する気満々でした。)
そこでルーズベルトとその幕僚たちはどうすれば日本を挑発できるかを探り、「ハル=ノート」に行き着いたというわけです。
アメリカ人のジェームズ・ウッド教授の「『太平洋戦争は無謀な戦争だったのか」によりますと、日本は東南アジアの資源地帯を制圧したあとは、ミッドウェイに向かったりガダルカナルに行ったりせずに、アメリカの商船破壊をすべきだった、と書いております。
商船破壊を防ぐのはなかなか困難。同時にドイツもメキシコ湾で商船破壊を行えば、アメリカは甚大な被害を受けていたであろうとのことです。
しかし、日本海軍は「軍艦を沈める」のは好きでしたが、「商船破壊」は重視しておりませんでした。
とはいえ、この重要性を主張していた人物がいます。最後の海軍大将、井上成美です。彼は「新軍備計画」で商船破壊の有効性を力説しておりますが、結局、この提案が採用されることはありませんでした。
【ジュリアン・コーベット(1854~1922)】
英国の海軍戦略家。海軍の主目的は「自国の海上交通路の確保と、敵国の海上交通路の破壊」である。帝国海軍首脳部はこのあたりを理解していなかった。
まとめ
⑤ 「宣戦布告なき戦争」をはじめた
⑧ 日本への経済封鎖
⑨ 「近衛和平案」を拒絶
⑩ 「3ヶ月凍結案(=乙案)」を拒絶
※もっとも、日本に引き金を引かせるのが目的であったため、「失策」というより「確信犯」。
書籍購入はコチラから
フーバー大統領が明かす 日米戦争の真実 [ 加瀬英明 ]価格:880円 (2021/4/24 15:59時点) 感想(0件) |