こんにちは。
今回ご紹介しますのは、「ルーズベルトが犯した十九の失策」(第2次世界大戦前)についてです。
一言で言えば、今回の失策は、
「衝突必至だった独ソの間に介入して戦争を世界大戦に拡大した、そのうえ、ソ連を援助して肥やした」
ということでしょう。
以下、「フーバー大統領が明かす日米開戦の真実」、第3章「ルーズベルトが犯した十九の失策」を参考にさせて頂きました。
【失策3.ミュンヘン融和:ヒトラーとスターリンの衝突を止めた(1938/9)】
1938年9月、英仏独伊の首脳がミュンヘンで会談します。
この会談でナチスドイツの「ズデーテン地方(チェコスロバキア)割譲要求」を受け入れました。
(「ミュンヘン融和」)
フーバーはこの「ミュンヘン融和」に対しては比較的肯定的な立場で、
「ドイツがソ連に侵攻するドアが開いたのだから、そのまま衝突させれば良かったのに」という立場をとっております。
(こうした考えは「通説」とは異なりますが、ウェデマイヤー陸軍大将なども同様の意見です。)
※当時からヒトラーとスターリンはいつか衝突すると考えられておりました。ヒトラーはイギリスとは戦いたくなく、フランスはもはや敵ではないと考えており、本当に倒したかったのは地政学的にも政治思想的にもソ連でした。
ちなみに、この融和政策を行ったイギリス首相ネヴィル・チェンバレンを最も叩いたのがチャーチルです。
(チェンバレンはナチス・ドイツが共産主義の防波堤になると考えていたと言われます。この件をもって、ルーズベルトの失策とは言い難い気もしますが…)
そして、非難されるべきは「ミュンヘン融和」ではなく、以下の「ポーランド独立保証」とフーバーは考えております。
【失策4.】英仏によるポーランドとルーマニアへの独立保証
1939年3月、英仏がポーランドとルーマニアの独立を保証しました。
フーバーはこれを「欧州外交史の中でも最大の失策」の可能性があるとしております。
独ソの戦いは避けられない状況にあり、欧州の民主国家は介入しない方針をとっておりました。
しかし、この独立保証により、ヒトラーとスターリンの間に「民主国家の存在を餌食のように投げ出すことになってしまった」のです。
(英仏は彼らを救い出す力がなかったにも関わらず。)
結果、1939年8月、「独ソ不可侵条約」が結ばれ、ポーランドはドイツとソ連により分割されました。
この外交政策の失敗により、「英仏は不本意な形で戦争に巻き込まれた」としております。
(さらに、スターリンの味方をしてしまったことも不本意な結果)
ルーズベルトはこの件にも関わっていたようですが、どの程度関わっていたのかは「資料不足」とのことでした(フーバー)。
しかし、ポトツキ駐米ポーランド大使は、
「ルーズベルトは、ポーランド独立のために英仏側にたって参戦すると約束した」
と証言しております。(『ルーズベルトの開戦責任』ハミルトン・フィッシュより)
(介入したくてしょうがなかった?)
英仏だけでなく、ルーズベルトも「失策」していたわけです。
※イギリスの伝統的な外交政策は、「欧州大陸の統一勢力を避けること」でした。(地政学的にも)
したがって、今回も「ドイツとソ連を戦わせて両方が疲弊したところで介入してバランスをとっていく」べきだった、と書かれております。アメリカもそまたうすべきだ、と書かれております。
まとめ
③ 「ミュンヘン融和」の意図を理解しなかった
④ ポーランド・ルーマニアの独立を保証した
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