こんにちは。
今回ご紹介しますのは、「南北朝時代第3期⑱:1384–5年」です。
特に目立った動きはありませんでした。
足利義満はかつて強訴を繰り広げた興福寺を懐柔しております。
永徳4年→至徳元年/弘和4年→元中元年(1384年)年表
| 2/27 | 北朝、「至徳」に改元 ★甲子革令による。 |
| 4/28 | 南朝、「元中」に改元 ★後亀山天皇即位および甲子革令による。 |
| 5/19 | 観阿弥、没 ★猿楽師として能を大成。息子の世阿弥とともに、足利義満の庇護を受けていたが、wikipediaによると観阿弥は楠木正成の甥という説がある。これが本当だとするとちょっと面白い。 |
| 7/4 | 菊池武朝、あわや失脚 ★菊池武朝の失脚を目論む一派が、南朝朝廷に彼を貶めるような内容の訴えを起こしたため、南朝朝廷はその真偽を確かめるために良成親王の下に遣いを出す。 ★武朝は自ら筆を執り、菊池一族がそれまでに示してきた忠義の数々と、自らの潔白を主張し、南朝朝廷はこれを受け入れ、武朝の地位が奪われることは避けられた。 ♨背景には好戦派の武朝に対する厭戦ムードが考えられる。 |
| -/- | 蘆名直盛、会津若松城の前身となる東黒川館を建てる ★@福島県。のちに戊辰戦争の舞台となる。 ★蘆名家…鎌倉政権と奥州藤原氏の間で生じた奥州合戦(1189年)の戦功からこの地を治める。もとは三浦一族。 |
至徳2年/元中2年(1385年)年表
| 3/- | 上州で再び新田氏に謀反の動き ★岩松直国、挙兵を呼びかける使者を捕らえる ★岩松直国は新田氏一族でありながら、足利家に味方。中先代の乱で兄の経家ら一族が大量死去。 |
| 8/28 | 足利義満、南都参詣開始 ★東大寺、興福寺などを巡る。(-9/1) ★この際、南都の僧侶たちはこぞって歓迎。義満側も寄進して贈与交換。 ★権力の誇示と、支配関係の確認という意図もあったと考えられる。 ※かつて強訴を繰り広げた間柄とは思えないほど懐柔。 ※その後も南都参詣は続き、義満の代で8回。以後、義持、義教、義政の代でも行われる。 |

寺社勢力も味方につけたけど、まだまだ満足していないからね…。やることはいっぱいある!