こんにちは。
今回ご紹介しますのは、「南北朝時代第3期⑱:1386–7年」です。
関東では小山義政の遺児である小山若犬丸が挙兵して、祇園城を取り返したうえに、やってきた守護代の軍勢も打ち破りました。
怒った足利氏満は兵を差し向けますが、若犬丸を捕らえることはできず。
なんだか、「逃げ若」こと北条時行のケースと似ていますね。
至徳3年/元中3年(1386年)年表
| 2/- | 足利義満、五山制度を整備する ★京都と鎌倉の禅宗寺を義満の「好み」によりがランキング化されました。禅寺のランキングというよりは、義満にとってのランキングです。 ★【別格】(京都と鎌倉の上位にいる) 0)南禅寺 ★【京都】 1)天龍寺(尊氏が創建) 2)相国寺(義満が創建) 3)建仁寺 4)東福寺 5)万寿寺 ★【鎌倉】 1)建長寺 2)円覚寺 3)寿福寺 4)浄智寺 5)浄妙寺 ※1401年、義満は相国寺を第1位とするが、死後(1410年)、再び2位に戻される。 ♨こういうのがテストに出されるから困る。暗記のための暗記。4位と5位の違いなんて歴史の流れからしてみたらどうでもいい。もはや若者から日本史を遠ざけようとしているとしか思えない。【コチラも】 |
| 2/12 | 足利義持生誕 ★のちの4代将軍。 |
| 5/- | 鎌倉府、下河辺荘を手に入れる ★室町幕府は鎌倉府の要望を認めて下総国にあった旧小山領下河辺荘の鎌倉府御料所編入を認める決定をした。 ★同荘は小山氏の旧領ということだけでなく、既に鎌倉府の直接支配が及ぶようになっていた武蔵国と、新たに支配下においた下野国を結ぶ交通の要所であり、鎌倉から下野に及び鎌倉府の支配ラインを完成させる意味で重要な地域であった。 ♨イマイチその距離感というものがわかりにくいかも知れませんが、群馬県と栃木県と茨城県と埼玉県は一部非常に密接しております。小山氏が本拠とした小山城は栃木県の南部にあり、今回、鎌倉府軍が拠点とした古河城は茨城県の南西部にあり、小山城(栃木県小山市)と古河城(茨城県古河市)の間は20kmくらい。 ♨のちにこのエリアは「古河公方」の拠点ともなる重要な場所です。 |
| 5/27 | 小山若犬丸、小山で挙兵 ★小山義政の遺児、小山若犬丸が挙兵して祇園城(栃木県小山市)を奪還。 |
| 6/18 | 古枝山の合戦 ★古枝山(栃木県栃木市岩舟町)の合戦で、若犬丸が下野守護代・木戸元連(きどもとつら)の軍勢を破る |
| 7/2 | 足利氏満、小山若犬丸討伐のため出陣 ★古河に着陣 |
| 7/10 | 塔本の合戦 ★塔本(栃木県小山市)で合戦し、氏満軍勝利。祇園城へ向かう。 |
| 7/12 | 祇園城陥落するも、小山若犬丸は再び脱出 ★氏満はしばらく警戒して古河に滞在したが11月に鎌倉に帰座 |

親の仇だ、足利氏満!

なんじゃーー!おのれ、まだ、生き取ったのか!守護代は何をやってる!しょうがない、わしが行く!!

へへへ、捕まってなんてなるものか笑!

むぎーーー!!なんとでも探し出すんじゃ!!!