~「もう一つ上の日本史」出版に伴い、勉強方法も変える必要が出たので、全面改訂突入します~

☞【東条英機はミッドウェーの敗戦を知らなかった?】『転進 瀬島龍三の「遺言」』(新井喜美夫、2008年、講談社)

太平洋戦争についての図書を探している時、図書館に置いてあったので借りて読んでみた。

「転進」とは敗戦濃厚となったガダルカナル島での攻防で日本軍が「退却」という言葉を使うと良くないとのことで、瀬島が考えた言葉らしい。

作者は東急エージェンシーの社長、会長を歴任。そう書かれると、何か歴史の「ウラ」を知っているかもしれないと思ってしまう。

が、このパターンが良くないのであろうか

「東条英機はミッドウェー海戦の敗退を知らなかった。海軍が隠蔽したから。」

と書かれていて、「おーっっっ」と思ったが、これには

「ホラ」説が↓

https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12152792742

一方、実際に証言を聞いた説もあり↓。

http://jjtaro.cocolog-nifty.com/nippon/2013/02/post-6c7e.html )

だから、

やっぱり学者の本を選ばないといけない

と改めて思う次第であった。

しかし、

ホントのところどうなのか。

「ミッドウェー敗戦海軍隠蔽説」論者は確かに多いが、そんなことなかった、って思いたい…。

♨数週間知らなかった、というのならわかるが、1年以上知らないとかっていうのは、やっぱり不自然なような気も…でも、そんな組織だったからあんなことになったのか…?

もっとも、

やっぱり山本五十六「愚将」説

は、アタリかな、と思う。

役に立つかわからないけど、以下、「読書メモ」と「雑感」をピックアップ。

第1章:敗北を知らなかった東条英機

まず、物議をかもしているのが、コレ。1942年6月5-7日のミッドウェー海戦で日本が敗北して南方の制空権、制海権を失ったのだが、これを東条英機が知らなかった、と。

「そうとわかっていたなら、フィリピンにこだわったり、あるいはインパール作戦などやらなかったのだが…」

と、東条英機が言ったらしいが、いろんな人の意見や記録を見ると、「そんなことはない」ようだ。真相はいかに。

諸悪の根源として陸軍と海軍の対抗意識が挙げられており、事実、山本五十六は「海軍は陸軍の面倒を見るほど余裕がないので勝手にやってくれ」と発言しているらしい。

これに対して、「陸海軍の区分を廃止し、中央統帥部をつくり、作戦を同一庁舎で行おう」と言う案が瀬島龍三、源田実から出されたらしいが、海軍が陸軍に呑み込まれるのではないかという懸念から、海軍首脳(永野修身)により却下されたという。

【略年表】

1941年
12月 真珠湾攻撃で開戦

1942年
1月 マニラ占領
2月 シンガポール占領
3月 ラングーン占領。ジャワのオランダ降伏。
4月 バターン半島占領。【バターン死の行進
6月 ミッドウェー海戦
10月 ガダルカナル島の攻防

♨ミッドウェー海戦はその名前からも日本が負けに向かう「折り返し地点」と受験的には教わるのであるが、実際に戦争を経験した山本七平先生や、「敗戦21カ条」を書いた小松氏によれば、「バシー海峡」の損害の方がはるかに戦意を喪失させるものであったというようなことが書かれていた。やなせたかしさんのご兄弟ほか10万人~26万人もの日本人がバシー海峡で亡くなられらと言う。「慟哭の海峡」(門田隆政)、機会があれば読んでみたい。

第3章:天皇の忠臣

日中戦争で拡大してしまったのは杉山元が勲功による爵位を狙ったから。

東条英機は裁判で「無様な独裁者」を演じたのは、そうすることで「天皇の身代わりとなった」からという。(東条が処刑された時天皇は一晩中涙した。)

不当に貶められている東条の反対で、不当に評価が高いのが、山本五十六

山本五十六は女好き。博打好き。山本の最期も良い格好をしたいがための自決ではないのか?というが、山本の死体や行動を見ると、それもあり得ると思ってしまう。(真相はわからない。)

杉山元】(1880-1945)… 敗戦に際して拳銃自殺ができず、無様な服毒自殺。拳銃の安全装置も知らなかった。どっちにも開くという意味でついたあだ名が「便所の扉」。太平洋戦争を3ヶ月で終わらせると豪語するも、2ヶ月で終わらせると言っていた日中戦争が長引いた原因を聞かれて、 「シナは奥地が広うございますので」→天皇「太平洋はなお広いではないか」→杉山「…」という話は有名。

山本五十六】(1884-1943)… 「同じ山本でも権兵衛と五十六では肝心な場面を迎えた時は天と地ほどの差があった」とは井上成美の弁。近衛首相に最後の決断を聞かれた時に「1年は暴れてみせる」と発言したことに対しても「あんないい加減な答えをするからダメなんだ。結局、山本長官の発言が日本の歴史を左右したことになる。」と。もっとも。唯一、真珠湾での奇襲は成功したが、これはアメリカも「そんな馬鹿なことはしないだろう」と思っていたためか。

第5章:北進か南進か

陸軍の南進は疑問。再三、ドイツからソ連を叩くよう言われていたが。ソ連との戦いを避けた結果、泥沼の日中戦争を招き、アメリカの参戦をも招き、ソ連に付け入る隙を与えた。

こうなったのは1939年のノモンハン戦(モンゴルと満州の紛争がソ連と日本の争いに【コチラも】)が原因では?という。

ちなみに、この戦は、まだ騎馬を重視するなど日露戦争の時代から出られていない。関東軍が勝手に起こした戦いでもある。

【ノモンハン事件】…1939年5月12日から。8月の独ソ不可侵条約を受けて停戦。ノモンハン事件は日本が壊滅的な打撃を受けた、と思われているが、実際はソ連の被害も大きく、スターリンがそれを隠した、という説が。辻政信という「圧倒的に危ない男」(?)が指揮。

石原は北進と考えていたようだが、服部卓四郎、田中新一、杉山元が南進を主張。彼らはアメリカのことがまったくわかっていなかった。そして自らを過大評価。

日本が対米戦争に踏み切った時、「日本はなんて愚かなのか」とヒトラーが言ったという。

瀬島も、「負けるようなこと、止める時のシナリオは考えていなかった…」と言っているが、これが軍人教育でもあったのだ。

第8章:シベリア抑留が残したもの

戦後、瀬島龍三はソ連に11年間も抑留された。

「シベリア抑留は日本の軍人や民間人の帰国を規定したポツダム宣言九条違反であり、日ソ中立条約を破っての対日参戦と共にスターリンの犯罪であった」(瀬島)というが、なんとその数60万人。

♨しかし、ここで興味深いのが瀬島が日本兵の労働力を売り渡した張本人であるという説(本著では書かれていないが)。これについても、また機会があれば読書したい。

「かつての幼年学校のように少年時代から軍人教育を吹き込むことの結果はどうだったか。また、一高・東大と言った秀才教育はどうだったか。防大創設時にはまず軍人精神の大事であることはもちろんだが、同時に軍人は国民教育と言うか、国民的精神を第一とし、第二は国民精神が撃ち込まれた教育であっても卒業者は人間であり、人間愛を理解するものでなくてはならない…」(吉田茂)

♨このセリフは良い。ちなみに、「転進」と言う言葉は瀬島が考えたとのことだが、本来は「退却」。しかし、「軍人が退却」は軍人らしからぬ、ということで「転進」に。こういうどうでもいい(もちろん本人たちはどうでもいいと思っていないが)ことにこだわり見栄を張ってしまうのが日本人の悪い傾向でもあると認識したい。

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