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☞『昭和陸海軍の失敗』(2007年、文藝春秋)~陸軍編プロローグ~

こんにちは。

今回ご紹介しますのは、「昭和陸海軍の失敗」(2007年、文藝春秋)の「陸軍編」プロローグです。

陸軍編と海軍編に別れておりますが、陸軍編では「硫黄島からの手紙」で一躍有名になった栗林忠道陸軍中将ほどの知謀の士がなぜ軍の中で主流になれなかったのか?という点が1つのテーマです。

たしかに当時の陸軍のように学歴順に役職を決めて成功するのであれば、「人事」なんて苦労しませんよね…

【陸軍の教育組織】

まずは、陸軍の基本的な教育システムについて知る必要があります。

いわゆる「エリートコース」と呼ばれるものは、陸軍幼年学校→陸軍士官学校→陸軍大学校→参謀本部というコースです。

幼年学校を経ずに陸軍士官学校に入るパターンは稀で、「出世コース」ではありません。

有能ながらも「本流」に乗ることができなかった「栗林忠道」、「今村均」、「本間雅晴」はそのパターンでした【3人についてはコチラ】。

陸軍幼年学校に入学するのは13歳~15歳。

そんな、中学生の段階で将来の活躍が約束されている人物なんて1人もいないぞ。

高校野球で活躍した選手がプロで活躍できるなんて限らないのと同じように。

★陸軍幼年学校…主に中学2年生(13歳~15歳)を選抜。仙台、東京、名古屋、大阪、広島、熊本に存在。競争率20倍以上。

★陸軍士官学校…陸軍「将校」養成施設。

★陸軍大学校…「参謀」養成施設。入学できるのは陸士の1割程度。士官学校と異なり、参謀本部直轄。kこの点がが1つの大きな問題であった。(後述)

【超エリート:陸大教育の問題点】

超エリートの「陸軍大学校」は、日露戦争くらいまでは機能していたと思われますが、

「総力戦の時代」となっても、いつまでも「戦術中心主義」を続けていました。

結果、東条英機らは「国際法」の知識などもありませんでした。

また、陸大が「参謀」を養成するのか、「指揮官」を養成するのか明確にしなかったために、「中途半端な指揮官意識をもった参謀」が数多く生まれてしまったという点も問題でした。

そのため、「参謀」なのに「指揮官」気取りで暴走をはじめてしまう人物(辻政信?)も出現してしまうのです。

また、兵站を専門とする「輜重科」将校は陸大の受験資格すらなかったように、兵站も軽視されていました。

兵站参謀・井門満明(46期)は、「輜重輸卒が兵隊ならばトンボ、チョウチョも鳥のうち」と最後まで軽視され、日中戦争において自分の意見が全く採用されなかったことを嘆いたと言います。

(※日中戦争レベルの規模の戦争では兵站は機能していたという意見もあります。太平洋戦争レベルの規模の戦争では兵隊が多すぎたために兵站も機能しなかったとも。【コチラ:ここまでわかった 太平洋戦争通説のウソ】)

【陸軍組織についての基礎知識】

続いて組織についても知っておく必要があるでしょう。

まず、陸軍は「三長官」と呼ばれる、「陸軍大臣」(大臣)、「参謀総長」(総長)、「教育総監」(総監)が3トップです。

陸軍大臣(陸軍省)が「軍政・人事」を、参謀総長(参謀本部)が「軍令・作戦・動員」を、教育総監(教育総監部)が「教育」をそれぞれ掌っていました。

三機関の序列第2位の次席相当職は「陸軍次官」(次官)・「参謀次長」(次長)・「教育総監部本部長」(本部長)です。

(「大臣ー次官」、「総長ー次長」、「教育総監ー本部長」)

ちなみに、 閑院宮載仁親王が1931.12.23~1940.10.3と9年間も総長の座にいましたが、皇族総長は象徴としての意味合いが強く、実務は次長がやっておりました。

そのような形で、決定権が下に下に移っていくことはきわめて「日本的」とも言われます。

【組織問題点①】~辻政信の暴走を許してしまったシステムの欠陥~

続いて「組織」の問題点についても。

1つ目の問題点とは、「参謀本部」配下の「参謀」が立案した作戦が「司令官」の立てた作戦より優先されてしまう点です。

通常は「司令官」の部下が「参謀」ですが、日本は特殊でした。

本を正すと明治11年(1878)に山縣有朋が「参謀本部」を組織したときに、政治的に対立していた谷干城、三浦梧楼らの力を削ごうとしたために、参謀本部長が司令部を統制できる制度を作ったことによります。

 
たとえるなら本店からやってきたエリートが支店長に指図するようなものでしょうか?
実際に辻政信なんていうのは、「これは天皇の命令である!」なんて嘘を言いながら自分の作戦を押し通していたんですよねー。

【組織問題点②】~内部で争う体質~

また、正しい評価制度がなかった点も問題でした。

有事の際でも内部で争う体質が最後まで変わりませんでした。

イギリスの戦争指導部はチャーチル、閣僚、参謀クラスが6畳1間に泊まり込みで議論話していたのとは大違いで、戦争指導体制もついに確立しませんでした。

研究にしても、アメリカが徹夜で研究していたのに対して、日本は18時にはおしまい。精神主義を唱えていた割には実際にやっていることはそうでもなかった、と言われております。

また、実戦経験のある人はいかにして戦争を止めるかを考えていましたが、実戦経験ない組は戦争を観念でとらえてしまいがちです。

満州事変を成功させた石原莞爾にジェラシーを抱いた武藤章など、各参謀の「功名心」も問題でした。

【その他の問題点】~政治家の責任~

政治家の責任も重く、この時期は軍を党勢拡大のために利用しようとする政治家が増えておりました。(普通選挙法の影響もあるでしょうか?)

それにより軍人も政治家を軽蔑するようになり、政治介入することになります。

それによる混乱が生じます。

「かつての幼年学校のように少年時代から軍人教育を吹き込むことの結果はどうだったか。また、一高・東大と言った秀才教育はどうだったか。防大創設時にはまず軍人精神の大事であることはもちろんだが、同時に軍人は国民教育と言うか、国民的精神を第一とし、第二は国民精神がうち込まれた教育であっても卒業者は人間であり、人間愛を理解するものでなくてはならない…」(吉田茂)

これは名言。

読書メモ:第1部第1章:宇垣一成編へ

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