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☞【南北朝時代第2期①:1348年2月~】『新たな火種!師直vs直義の暗闘開始』

こんにちは。

今回ご紹介しますのは、「南北朝時代第2期①:1348年2月~」です。

細川顕氏、山名時氏といった錚々たるメンツを撃破した楠木正行を「四條畷の戦い」で破り、高師直は北朝のヒーローとなりました。

その勢いは行政のトップである足利直義を脅かすものとなり、両者の間で暗闘が始まります。

貞和4年/正平3年(1348年)2月~年表

2/13師直、京都凱旋

※一方、高師泰は河内国石川河原に進出して向城を設営。ここは楠木氏の本拠である千早城・赤坂城へ向かう登山口にあたり、正行の住宅を焼き払うなど南朝残党の掃討戦を展開。
4/16足利直義、紀伊国凶徒退治に足利直冬を任命

※紀伊国で南朝軍が蜂起したために鎮圧に直冬が任命。直義は院宣を得て、諸国の武士に軍勢督促状を発給して出陣を命じる。
4/25足利直義、九州の少弐頼尚にも上洛命令

※これが直冬と頼尚の最初の接点。(その後、肥後に落下した直冬討伐命令を尊氏から受けるも、結局、直冬方に付く)
5/28足利直冬、出陣(~9/28)

※まずは東寺に宿泊。
6/5大高重成(若狭守護)、尊氏により所領をすべて没収される

※大高重成…高師直の又従兄弟でありながら直義に近い人物であった。文武両道でもあり、直義と夢窓疎石の対談集である「夢中問答集」(1344)を刊行したのも彼である。
※所領を没収された理由は不明であるが、直義派と師直派の不協和音によるものと考えられる。
※若狭守護は山名時氏に交代。
※粟飯原(あいはら)清胤(きよたね)も出勤停止。
6/18足利直冬、紀伊へ

※この間も直義は軍勢督促状を行い続けるなど、直冬をサポート。直冬の直冬に対する熱意を感じる。
8/8紀伊国で激戦

※8日、9日の戦で両軍とも多数の死者。直冬は日高郡まで侵入。
9/4直冬、阿瀬河城を落とす

※一応の目標を達成。
9/28直冬、帰京

※尊氏は全く喜ばず(?)。
10/内談方の頭人交代

※高師直・上杉朝定・上杉重能から、師直、朝定が辞任し、仁木義氏、石橋和義(まさよし)が頭人となる。
仁木義氏…頼章・義長の弟。足利一門では家格は低い。尊氏ー師直派。
石橋和義…中間派。家格は高い。観応の擾乱後、一時は幕閣のトップとなるが、斯波高経との政争に破れて奥州へ。
※この人事は「尊氏派」が師直から義氏へ、「中間派」が朝定から和義へ、「直義派」が重能留任といった人事。直義にとっては高師直よりも仁木義氏の方が相手しやすいが、尊氏ー師直派を残さないといけなかったという点で、さほど有効打にならずなかったと思われる。
※水面下の駆け引きが窺える。
足利直義
ううう…。

高師直の戦勝パレード、見るのは辛い…

このままのさばらせておいたら、私の立場がないってもんだろう…

直冬ちゃん、頼む…

足利直冬
直義さま、わかりました。

私を匿っていただいた御恩にも報いるため、

紀伊の凶徒どもを必ずや倒して参ります!

高師直
ははは、あの坊やに何ができるのかな?

まあ、高みの見物といかせてもらおうか。

足利尊氏
私は見抜いているんだな…

直冬が類稀なる私の軍事能力を1番受け継いでいることを…

それが覚醒すると、義詮にとっては脅威…

今はまだ敵ではないが、いつ「覚醒」するかわからん…

足利直冬
だいぶ苦戦しましたが、ようやく勝ちました!
足利直義
よくやった!直冬ちゃん!

兄さんも喜んでくれるに違いない!

足利尊氏
…。
足利直冬
父上は全く喜んでくれない、、

そんなに僕のことが嫌いなのか、、

足利直義
ちょっと人事もいじらせてもらうぞ、いいな師直。
高師直
へー、そう来るんだ。直義ちゃん、穏やかでないなー。

もしかして、僕のことが怖いのかな?

The growing power of Kou Moronao threatened the position of Ashikaga Tadayoshi. A power struggle began between them.

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