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☞【南北朝時代第2期㉜:1363年】『岩殿山合戦で足利基氏激勝!関東管領は上杉憲顕に!』

こんにちは。

今回ご紹介しますのは、「南北朝時代第2期㉜:1363年」です。

「岩殿山合戦」が行われ、足利基氏が激勝。

これにより、足利基氏を畠山氏・宇都宮氏・河越氏がサポートするという「薩埵山体制」は完全に崩壊し、上杉氏がその役割を果たすこととなりました。

貞治2年/正平18年(1363年)年表

3/8足利基氏、上杉憲顕に「関東管領」就任を正式に依頼

※畠山国清没落後、足利基氏は高師有を一時的に用いていたが、ほどなくして上杉憲顕を鎌倉に呼び寄せる。
※相模国守護は薩埵山体制を支えていた河越直重が解任されて、直義党であり、観応の擾乱時の守護であった三浦高通が復権。
8/「引付方」、復活する。

※主に土地関係の訴訟を担当(1249年、北条時頼が開始)。
8/18足利基氏、軍勢催促

※上杉憲顕と宇都宮氏綱が合戦になることを予期して
8/20足利基氏、鎌倉発向

※25日、武蔵国苦林野宿(埼玉県毛呂山町)に軍陣を構える。
8/26岩殿山合戦

※足利基氏軍、岩殿山(埼玉県東松山市)に軍を構えた芳賀禅可(前:越後国守護代)軍と合戦。
※基氏のもとに駆けつけた武士はそれほど多くなく、基氏自ら矢面に立ち、矢傷を受けながらも基氏軍勝利。

(※宇都宮氏綱のwikipediaでは1362年のような印象を抱きますが、合戦自体は1363年です。)
9/5足利基氏、下野国足利(栃木県足利市)に着陣、軍勢を整える。

※下野の長沼秀直に宇都宮氏綱の退路を塞ぎ、退治するように命じる
※下野国宇都宮(栃木県宇都宮市)に向けて進軍
9/宇都宮氏綱、下野国小山(栃木県小山市)の小山館にて足利基氏に謁見、謝罪し服属

※小山義政の仲介により、宇都宮氏綱は謝罪の機会を得る
※「芳賀禅可の行動は自分が同意したことではない」と。
※上杉憲顕も訪問
※足利基氏は鎌倉へ帰還
9/-大内弘世、幕府に帰順

※8/10-9/20の間のできごととされる。
※大内弘世は足利直冬派、つまり南朝の一員として、ほぼ独力で周防・長門を平定して実効支配していた。
※北朝帰順により周防・長門守護の座が幕府(北朝)から認められるメリットがあった
※幕府(北朝)としても、戦へのリスクが減ることと、周防・長門が幕府方となるメリットがあった
※また、大内弘世にとっては、豊前に避難(1359年~)して抵抗を続けていた厚東氏(ことうし:本拠地は長門、物部守屋の流れをくむ)を滅ぼすために、斯波氏経(鎮西管領)、大友氏時(斯波氏経の仲間で豊後国)のいる北朝と仲間になるメリットがあった
(※ただ、どちらかといえば、九州への進出より中国地方平定に意識があった)
※主である直冬が弱体化していたことも北朝帰順の一因とも考えられる

【大内弘世】(1325-1380)
大内家は鎌倉時代から周防国内で勢力を拡大しつつあった在庁官人。南北朝内乱勃発時は北朝・足利尊氏を支援していたが、1348年、足利直冬が長門探題に任命されて赴任されて以後は直冬にしたがい、直冬が南朝に属すると弘世も南朝に属した。その後、周防・長門をほぼ独力で平定。息子が応永の乱(1399年)で足利義満と戦った大内義弘。

【豊前】福岡県東部と大分県北西部の一部。「小倉(こくら)」、や「宇佐神宮」なども豊前国に含まれる。(福岡県は豊前国と、太宰府がある筑前国と、久留米市など福岡県南部を構成する筑後国からなり、微妙に県民性が違うらしい)いずれにしても本州への玄関口は豊前である。
9/山名時氏、幕府に帰順

※山名時氏のwikipediaでは当時の管領を「細川頼之」とあるが、「斯波義将」の誤り
※斯波高経が良い条件で幕府側に迎え入れられたことで、大内弘世、山名時氏の帰順もスムーズとなった。
11/大内弘世、九州へ渡航
12/3大内弘世、豊前国柳城(福岡県北九州市)での合戦に参加
12/-宇都宮氏綱、守護国をすべて失う

※上野国守護も上杉憲顕となり、宇都宮氏綱は守護国をすべて失い、これで薩埵山体制を支えていた畠山国清・河越直重・宇都宮氏綱はみな失職。河越直重、宇都宮氏綱はリベンジの機会を窺う。
※しかし、その後も、「宇都宮家」と関東管領「上杉家」、そして岩殿山合戦の調停役だった「小山家」、岩殿山合戦を戦った「芳賀家」、鎌倉府「足利家」の興亡は代を変えて戦国時代までも続く…
足利基氏
上杉憲顕おじ、正式に頼むよ!直義おじさんが成し得なかった世界を実現しよう!
宇都宮氏綱
・・・。
芳賀禅可
殿が出るとマズい!ここは私がひとつ暴れてみせましょう!狙うは基氏!
足利義詮
基氏、大丈夫だろうか。。。
足利基氏
兄さん、安心して!僕、頑張って勝ったよ!
上杉憲顕
基氏坊ちゃん、見事な戦でしたぞ(泣)
一緒に鎌倉府を守っていきましょう!
斯波高経
もともと足利幕府は、直義さまがデザインして、我々が死ぬ思いで戦って勝ち得たものなのよ。私が好条件で中枢に入ったことで大内さんや山名さんも、帰参しやすくなったことでしょう。
 
大内弘世
OK、周防と長門は認めてくれるのね。
山名時氏
私の領土も保全されるのですね。北朝に帰順しても良いかな。