~只今、全面改訂中~

☞【南北朝時代第3期④:1371年】『今川了俊、九州到着!』

こんにちは。

今回ご紹介しますのは、「南北朝時代第3期④:1371年」です。

今川了俊が九州へ派遣されます。

これにより九州は転換期を迎えます。

応安4年/建徳2年(1371年)年表

2/-九州探題に任命された今川了俊、京都を出発

■当時の九州の状況としては懐良親王、菊池氏により南朝が全盛期。長く九州に君臨していた少弐氏は大宰府を追われていた。

★今川了俊は各地の武士(毛利、山内、吉川ら)を組織しながら山陽道を進む。別働隊として息子の今川義範、弟の今川頼泰が先に九州に到達する。
★豊後の大友氏は最初から協力的。
★周防の大内弘世も協力の姿勢を見せる。しかし、これから九州に勢力を伸ばそうとしていた時期だけに内心は複雑だったか。
★筑前の少弐冬資も協力の姿勢を見せる。しかし、もともと大宰府を所有していた少弐にとって今川主導で九州平定されると自分の立場がなくなるという複雑な思いであったろう。

※少弐家について知りたい深く方は九州の名門・少弐家の15代360年にわたる歴史を書いた「少弐」(帚木蓬生、2025年10月)をどうぞ。
3/23後円融天皇践祚

■当時、皇太子が決まっていなかった。南朝に拉致されていた崇光上皇の息子は21歳になっており、崇光上皇の弟で現天皇である後光厳天皇の息子は14歳になっていた。

★結局のところ、皇位継承問題は後光厳派に軍配が上がる。
★3月15日に着袴の儀を行い、21日に親王宣下し、23日に即位儀という早業である。
★管領細川頼之は皇統の分裂を避けるために「そちら(天皇家)で決めてください」とするも、結果的に後光厳天皇を支持する形となり、後光厳上皇の院政が開始。
3/-細川頼之、劣勢だったく楠木正儀を救援すべく伊勢・河内の南朝攻撃

■楠木正儀は北朝に投降しており、今度は南朝から狙われる存在となっていた。
3/28山名時氏、死去

【山名時氏】
68歳。上野国出身で足利一族。初期より尊氏に付き従い、全国を転戦して武功をあげる。観応の擾乱においては尊氏、義詮と対立するも、好条件で幕府帰参(1363年)。

■家督は長男の師義が継ぐ。
閏3/-細川頼之、弟の満行をして北畠氏ら伊勢の南朝勢力を攻撃
5/細川頼之、養子の細川頼元を大将として諸大名を動員して河内国へ向かわせる予定も諸大名は集結せず

★細川頼之は管領を辞任しようとしたが、足利義満が止め、諸大名はしぶしぶ参加することに
7/桃井直常、飛驒国司・姉小路家綱の援助を受けて越中国に侵入
7/28五位荘の戦い

桃井直常と吉見氏頼の戦いで、吉見氏頼勝利。以後、桃井直常の戦いの記録はなくなり、没年も不明。

★桃井直常弟の直信の家系はその後、将軍直轄軍の部隊長になるなど幕府要職をつとめることに

■越中国は幕府方(斯波義将)のものとなる
8/6諸大名楠木正儀を残して帰る
細川頼之は再び頼元を派遣
11/春屋妙葩、丹後雲門寺に引き籠もる

※比叡山強訴(1368年)の火付け役でもあったが、細川頼之と対立
※さすがに細川頼之も愛想を尽かしたのか、その後、門徒230人あまりが僧籍剥奪される
(→1379年、康暦の政変で頼之失脚とともに南禅寺住職に復帰)

【春屋妙葩(しゅんおくみょうは)】
1312年山梨県生まれ。夢窓疎石の甥にあたり、夢窓疎石のもとで禅宗の修行を積む。その後は外交などにも携わるように。
11/29赤松則祐、死去

【赤松則祐】
61歳。若かりし頃は比叡山で共に過ごした護良親王に従い転戦。武功をあげる。その後、中先代の乱で護良親王が暗殺された後は尊氏に従い、後醍醐天皇と対立。播磨で後醍醐天皇方を食い止めるという重要な役割を担う。その後、護良親王皇子の興良親王の蜂起に際して、南朝に下ることもあったが(1351年)、幕府に帰順。その後は南朝に属した山名時氏と戦うなども(1362年)。
12/2興福寺強訴

★原因は内輪揉め。大乗院、一乗院のトップ2人を処罰しろという訴えをちゃんと聞いてくれないということで衆徒たちが起こした。
★処罰対象者はどんどん増え、三宝院光済のような幕府中枢のものまで配流せざるを得なくなり、幕政に支障がをきたす。
★最終的に神木が京都から去ったのは応安7年(1374年)12月17日。(その後、三宝院も赦免されて帰京。)

■本来であれば後円融天皇の即位礼は12月19日に行われる予定であったが、このおかげで応安7年(1374年)12月28日までずれこむことに。御光厳上皇が早期解決を望んだことも強訴側の怒りを助長する結果となった。廷臣も奪われ後光厳院政はスタートからつまづく。
12/19今川了俊、豊前国門司(北九州市)に到着
今川了俊
前任者と違って私はちゃんと戦略をもって九州に向かう!まずは誰が味方になるか把握せねば。
大内弘世
はいはいー、私、協力しますよー…
少弐冬資
それなら私も…。うーん…。
細川頼之
天皇家、なんでもかんでも幕府に頼るのやめて!
あと大名たち、南朝を倒すの大事でしょ、協力して!
あと、興福寺は勘弁して!
春屋妙葩はいい加減にして!
後光厳天皇
兄さんには悪いが…うん、わかった、息子を皇太子にする!
足利義満
頼之も頑張ってるんだけどなー
ま、僕が成長するまで幕政は安定しないかな
山名時氏
激動の時代において山名氏の繁栄のもとを築いた。後悔はない。
赤松則祐
思い起こせば護良親王と一緒に戦った頃から濃密な人生じゃった。
山名は地域的にライバルでもあったがな。
まさか同じ年に死ぬことになろうとは。
桃井直常
幕府創立時の面々がどんどん亡くなっていくな。これも時代か。
私も戦に明け暮れた人生じゃった。直義さまは天国で元気にしておられるじゃろうか。
(その後、1376年まで生きたという説あり)