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☞【南北朝時代第3期⑥:1373年】『南朝いよいよピンチ!菊池武光も死亡』

こんにちは。

今回ご紹介しますのは、「南北朝時代第3期⑥:1373年」です。

畿内においては南河内政府は追われ、

九州においては長らく懐良親王を守ってきた菊池武光が死去。

南朝はいよいよ窮地に立たされました。

応安6年/文中2年(1373年)年表

6/明の使節、上洛

今川了俊によって博多に抑留されていたが、京都に政府があることを知った使節は交渉相手を懐良親王から変更することにした。しかし、使者が詔書を持っていなかったことからも細川頼之の反応は冷たかった。(本当は、懐良親王宛の詔書を持っていたが出すわけにはいかなかった)

ただ、幕府としても無視するわけにもいかず、日本側の使僧、被虜人150人を使節の帰国に同行させた。
8/10楠木正儀、細川氏春、赤松光範らの遠征軍、南朝に攻め込み、天野合戦で南朝重臣の四条隆俊を討ち取る

■南朝は応安2年4月より天野行宮を臨時首都としていたが、再び吉野へ戻ることとなった。以後、南河内に戻ることはなかった

【四条隆俊】
四条隆資息子。後村上天皇を守って討ち死にした父同様、長慶天皇を守って討ち死に。主戦派であり、楠木正儀と反目。
8/25佐々木道誉死去。78歳。

【佐々木道誉】
足利幕府創成期より活躍。派手な服装で「バサラ大名」としても知られるが、政治力は高く、斯波高経を失脚させる。
11/16菊池武光、死去。52歳。

【菊池武光】
菊池家第15代当主。懐良親王を奉じて征西府の最盛期を作り出した。
楠木正儀
いよいよかな…。これで平和が訪れると良いが。
細川頼之
正儀さん、やりましたな。
佐々木道誉
なかなか濃ゆい人生じゃった。
菊池武光
大宰府を奪い返せずに、、無念じゃ