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☞【南北朝時代第3期⑦:1374年】『後円融天皇親政開始も…』

こんにちは。

今回ご紹介しますのは、「南北朝時代第3期⑦:1374年」です。

興福寺の強訴がついに終わり、ようやく後円融天皇の即位礼が行われました。

17歳とまだ若い後円融天皇は幕府が指名した後見人の二条良基を排除して親政を始めようとしますがうまくいかず、

結果として足利義満が公家社会にも進出することとなりました。

応安7年/文中3年(1374年)年表

1/29後光厳上皇、死去

★前年7月に強訴を続ける興福寺との交渉に自ら乗り出したが、衆徒の下層部にあたる六方衆と激しく対立し、その最中、疱瘡(天然痘)を患った。
★院政開始からわずか3年。後円融天皇は17歳と後見が必要な年齢であったため、前太政大臣二条良基(55歳)が幕府から頼まれて後見人に指名されるも後円融天皇が親政を始めようとした(が、できない)ためにさまざまな問題が生じたのがこの時期。
-/-宗良親王、吉野に入る

■南河内を離れ、吉野に戻った長慶天皇であったが、その冬、思わぬ来訪者が。信濃で上杉朝房の攻撃を受けて、伯父にあたる宗良親王が36年ぶりに吉野に来たのだ。以後は、歌合を盛んに催すなど、楽しい日々を過ごしたとのこと。

【宗良親王】
後醍醐天皇第8皇子。母は歌人の二条為子。建武政権崩壊後、北畠親房とともに陸奥へ渡ろうとするが船が座礁して中部地方に根を張っていた。拠点とした大河原(長野県大鹿村:南アルプスの一部)は東海や関東、越後に通じる南朝方の重要な拠点であった。
4/7後円融天皇、奏事事始を行う

★議定衆、伝奏などを自ら指名。二条良基の影響を排除しようとして、以後、雑訴の親裁などを始めようとして、二条良基とトラブル。
♨このように、「できもしないことをしようとして、できない、中途半端」なのが後円融天皇の特徴で、二条良基は見切りをつけて足利義満の育成に力を注ぐ。

【二条良基】(1320-88)
政治家としては、北朝で通算5度にわたり摂政・関白を務め、最高位の太政大臣まで昇り詰め、また、足利義満を公家社会の作法(有職故実)の面で指導し、武家が朝廷の儀礼を取り入れる際の中核的な役割を果たした。 
文化人としては、それまで娯楽の要素が強かった「連歌」を、文学の域まで高め、『菟玖波集(つくばしゅう)』の編纂をはじめ、連歌のルールを定めた『応安新式』、理論書『筑波問答』などを著した。また、幼少期の世阿弥の才能を見出しその家庭教師役となったことでも知られる。
6/日本の使節が南京へ

★足利義満の書を皇帝に奉るが、反応は鈍し。使者が2年間抑留されたことに加え、「国王」ではなく「国臣」が返事を書いたことにも不満。交渉相手は足利義満ではなく懐良親王とした。
7/大内弘世、安芸国の国衆毛利元春領へ侵攻

■今川了俊の九州遠征に同行する姿勢を見せていた大内弘世であったが、早い段階(1372.8)から離脱していた。毛利元春が九州遠征に帯同する隙に南朝方の九州勢、南朝方であった毛利元春の父・親衡らとともに毛利元春領へ攻め込む。大内弘世はこの件で足利義満、細川頼之から石見守護の座を取り上げられる。

★今川了俊からの派兵依頼に応じなかった大内弘世にかわりに息子の義弘が出陣することになった。毛利親子も北朝南朝に別れていたが、大内親子も方向性が異なり、不仲。

【毛利元春】(1323-?)
毛利元就の6代前。祖父と父は南朝方であり一族で争った。特に父とは1350年の観応の擾乱でも戦闘。

【大内弘世】(1326-1380)
もともと足利直冬を補佐して南朝に属していた。周防、長門を制圧したが、1363年、北朝に帰順。今川了俊の命に背いて帰国したが、息子の義弘は九州に残り奮戦。
11/12今川了俊軍、筑後制覇

★大挙して筑後川を渡って筑後に攻め込み、高良山(福岡県久留米市)にいた懐良親王と菊池武朝は肥後に逃れる。
12/-興福寺強訴終了

■神輿や神木を振り入れて宿願を達成しようとする権門寺社の行動は京都でも鎌倉でもこの時期に集中して見られる。
12/28後円融天皇即位礼

結局、後円融の即位礼は神木帰座直後の12月28日に挙行された。践祚から足掛け4年を経た開催であった。
後光厳院
せっかく皇太子争いで兄・崇徳上皇に勝って院政をしようと思っていたのに、興福寺のせいで死んじゃったよ!
後円融天皇
しょうがない、僕がやるよ!…って言ってもやり方ってこれでいいんだっけ。二条良基?あいつ、うるさいねん!
 
二条良基
(ちょっとこのお坊ちゃんは言う事聞けませんな…)
足利義満
後円融天皇って同級生だけどおバカなのかな…。僕ならもっとできるのに…。
大内弘世
笑止。今川のもとで九州統一??やってられませんなー。だって、私、南朝で実力主義でやってきましたもん。うちの息子は私に反抗してるようですが、ちょっとお坊ちゃんすぎですわ。この先、どうなるか私には見えていますがな。
今川了俊
…。