こんにちは。
今回ご紹介しますのは、「南北朝時代第1期⑯:1347年」です。
楠木正成の息子、楠木正行(まさつら)が蜂起し、北朝は細川顕氏、山名時氏といった有力武将を送ります。
しかし、正行は連戦連勝。
ついに、高師直・高師泰の出陣が決定しました。

貞和3年/正平2年(1347年)年表
6/8 | 直義嫡子の如意王、誕生 ※直義にとって40歳を過ぎてからようやくできた子供。 ※1351年2月25日、5歳で没 ※後に勃発する「観応の擾乱」を如意王誕生による「直義の野心(如意王を将軍に就ける)」とする説もあるが、「観応の擾乱」において直義は尊氏に対して一貫して無気力でもあり、その説は信憑性が低い。 ※この時代の考察は「太平記」によるところが多いが、同書は史実として再考の必要性がある。たとえば、如意王は中先代の乱のどさくさで直義が殺害した護良親王の生まれ変わりとしている点や、後醍醐天皇の側近の怨霊が高師直に憑依して騒乱を起こした、として書かれている点などである。 |
6/ | 懐良親王、東福寺城攻撃 ※東福寺城…鹿児島県鹿児島市。当時、島津貞久が居城とした。現在は多賀山公園として整備され、東郷平八郎の銅像が建っている。 |
8/10 | 楠木正行、河内国で挙兵 ※細川顕氏(河内・和泉・讃岐守護)、堺浦へ出陣しこれを迎え撃つ。 ※細川顕氏は楠木正行との敗戦で評価を落としたが、北畠顕家との戦いで活躍し、高師直と並ぶ室町幕府のエースであった。 |
8/24 | 楠木正行、池尻(大阪府大阪狭山市)で幕府軍を破る |
9/9 | 楠木正行、八尾城(八尾市)を攻撃 ※細川顕氏、畠山国清、六角佐々木氏頼らと戦勝利 |
9/17 | 楠木正行、河内国藤井寺合戦で六角佐々木氏頼軍を撃破 |
9/19 | 楠木正行、教興寺の戦いで細川顕氏軍を撃破 ※当初は顕氏軍有利であったが、夜襲をかけて正行軍が勝利。 ※幕府は山名時氏(丹波・丹後・伯耆・隠岐守護)の軍勢を援軍と送ることを決定した。 ※山名時氏もまた、幕府の主力であった。3カ国以上を束ねる守護は細川顕氏、山名時氏のほか、上杉憲顕、少弐頼尚、細川頼春しかいない。 |
11/26 | 楠木正行、細川顕氏・山名時氏連合軍に連戦連勝(天王寺・住吉の戦い) ※摂津国瓜生野、阿倍野、渡辺橋などわずか1日で終わる。 ※細川顕氏はほとんど戦うことなく京都に逃げ帰る。 ※山名時氏は弟らを失う。本人も負傷。 ※これは細川顕氏や山名時氏が弱かったわけではない。楠木正行が強かったのだ。 |
12/14 | 高師泰、出陣 ※細川顕氏は河内・和泉守護を罷免となり、高師泰に交代。 ※土佐守護も弟の皇海から、高定信(師直・師泰の従兄弟)に交代。 ※高師泰は遠江守護仁木義長を支援して宗良親王と戦って以来、7年ぶりの出陣。 |
12/26 | 高師直、出陣 ※北畠顕家戦以降、9年ぶりの出陣。 |

あわわわわ、、、
せっかく息子が生まれたというのに、
大変なことに。
正行はもしかすると楠木正成の再来か、、、、

おー、北朝にもうちょいマシなやつはおらんのか?
細川顕氏、山名時氏、相手にならんわ。

うう…
細川顕氏にしても山名時氏にしても弱いわけではないのにな…
それに兵力ではこちらが上回っているのに…
あ、この時期、私が政務全般を行っておりました。

直義ちゃん、もう俺たちしかいないかな。
まあ、見ててよ。

楠木正行、相手にとって不足はないね。

いよいよ来たか、師直・師泰。
お前ら倒したら南朝の勝ちだな。
Kusunoki Masatsura rises up and wins a series of battles. Finally, Kou brothers face their opponents.
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