~只今、全面改訂中~

こんにちは。

今回ご紹介しますのは、「南北朝時代第2期⑥:1350年10月」です。

出家暮らしをしていた足利直義が京都を脱出します。

すぐに探すよう忠告した家臣もいましたが、

尊氏・師直は九州遠征を予定通り決行します。

観応元年/正平5年(1350年)10月年表

10/大友氏泰(豊後守護)、直冬方につく
10/15桃井直常(越中守護:直義方)、京都脱出し、越中へ。

※弟の直信とともに。かなり早い段階で反尊氏の立場を明確にした。
※この時点でまだ直義は細川顕氏邸に蟄居中。
10/16尊氏、ついに九州出陣を決意する

※師直の強い進言による
※15年ぶりの出陣となる
10/20桃井直常、挙兵

※越中国氷見湊(富山県氷見市)を攻撃
10/26足利直義、京都を逐電

※仁木らは出陣を取りやめてただちに直義を探すように進言したが尊氏は予定通り出陣を決行する
※尊氏も師直も直義は脅威でないと考えていたと思われる。(国をもっている明確な直義派は越中守護・桃井直常と関東執事・上杉憲顕くらい)
※直義が南朝と組んだら厄介になるかもしれないが、その可能性は1ミリも考えていなかった。(そもそも後醍醐天皇に忠誠を誓っていた尊氏を争乱に引き寄せたのが直義であり、南朝にとっては尊氏より直義のほうが宿敵。)
※直義が暗殺を察知して逃亡したという説もあり。  
10/28尊氏、出陣

※師直らを率いて出陣するも、その数は400-500騎と凋落(数年前は数万騎)
※⇨畿内の直義派が次々と蜂起して「観応の擾乱」勃発となる。
10/-武蔵国守護代薬師寺公義(きんよし)が下総国古河を経由して常陸国信太上条(しだかみじょう)に進出

※薬師寺公義は高師直の重臣で、師直の下で上総守護代・武蔵守護代を歴任。
※塩冶高貞の美人妻に贈る和歌を師直に代わって詠んだ逸話でも知られる。
 仁木
大変です!直義さまがいなくなりました!!
足利尊氏
え?それで?
仁木
すぐにお探しになられた方が良いかと…
足利尊氏
いいじゃん。
高師直
直義ちゃんが動かせる軍勢といえば、越中の桃井直常と、関東の上杉憲顕のところくらいでしょ。

関東には直冬を配置してるし、越前には斯波高経様がいらっしゃいますよね…

(※のちに斯波高経は直義方に転じる)

仁木
しかし、万が一、南朝と手を組むようなことがございましたら…
足利尊氏
え?南朝?www

面白いこと言うなー。

そもそも後醍醐政権は直義が倒したようなもんでしょー。

北畠親房とかが許すとは思えないんだけどー。

 
高師直
ふむ。それをされると厄介だな。

でも表向きは直義ちゃんと和解してるし、

そんなことしたら尊氏様も敵に回すことになる。

直義ちゃんが僕のことを憎むのはしょうがないとしても、そこまでするだろうか…

足利尊氏
ま、師直、行こうぜ。

今は少ないけど、また道中で兵も膨らむだろー。

足利直冬
むむむ。父上が攻めてくる気配がする…
足利直義
なんとか逃げられた。追手は来ないな。

私はまだ過去の男じゃないぞ。

師直、私の忠臣たちを斬ったとことを後悔させてやる。

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感想(7件)
名著!!