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こんにちは。

今回ご紹介しますのは、「南北朝時代第2期⑧:1350年11月」です。

前月、尊氏が直冬討伐の準備をしている最中、直義は京都を脱出しました。

そして、師直・師泰討伐の兵を募ると、桃井直常のほか、細川顕氏(讃岐国守護:尊氏に従軍もしていた)、石塔頼房(伊勢・志摩国守護)、畠山国清(紀伊国守護)らが呼応します。

さらに、直義は南朝へ降伏を申し入れ、北畠親房と会談します。

観応元年/正平5年(1350年)11-12月年表

11/-直義は大和国に逃れ、越智伊賀守を頼る

※ここにて直義、師直・師泰討伐の兵を募る
11/2三宝院賢俊(さんぽういんけんしゅん)、尊氏-師直に従軍するため京都を発つ

【三宝院賢俊】(1299-?)…元弘の変で処刑された日野資朝の兄弟。僧侶ながら尊氏を熱烈に支持し、建武の戦乱では光厳上皇の院宣を備後にいる尊氏に届けるなど重要な役割を果たす。
11/3岩田胤時(いわたたねとき:直義派)、三隅城を包囲する師泰軍を攻撃

※師泰の劣勢が伝えられる
※また、越中では桃井直常配下の井上布袋丸、富来(とぎ)彦十郎らが能登国富来院・花見槻に進出。
11/4能登守護桃井義盛(尊氏-師直派)が京都から能登へ下向
11/5尊氏、師直、摂津国兵庫に至る
11/6土岐周済の弟、右衛門蔵人が京都に潜伏しているのを、佐々木道誉配下の武将が発見して討つ
11/12常陸国信太上条(しだかみじょう)で上杉能憲(憲顕の息子)が直義派として挙兵

※前月に高師直重臣の薬師寺公義が進出していた地域である
※茨城県稲敷郡阿見町。
11/15尊氏軍に従軍していた細川顕氏(讃岐守護)、直義方に寝返る

※分国である讃岐へ逃れた
※細川顕氏は直義が失脚した時、自邸に住まわせていたほどの間柄。
※細川顕氏は1347年の楠木正行との戦いに敗れたことで尊氏に河内・和泉守護職を取り上げられたことを恨みに思っていた。従軍は尊氏を欺くため。

【細川顕氏】(?-1352)…顕氏、直俊、定禅、皇海4兄弟の長男。四国勢を率いて、建武の戦乱における足利兄弟をサポートし、武功をあげる。
11/16光厳上皇、直義追討の院宣を下す

※佐々木道誉の依頼による
11/17「尊氏が舟遊びをしている間に行方不明になった」というデマが京都に流れる
11/19尊氏・師直、備前国福岡(岡山県瀬戸内市)に至る 

※諸国の軍勢が集まるのを待つ
※能登国では桃井直信(直常の弟)と桃井盛義(能登守護:尊氏派)が激しく交戦開始。桃井氏は一族で尊氏派と直義派に分かれていた。戦況は直信有利。
11/21直義、河内国石川城に至る

※高師泰から留守を預かっていた畠山国清がいた。
※畠山国清(紀伊国守護。当時、河内・和泉守護も兼任?)は11/3の時点で直義派に寝返っており、南朝方の和田家に直義方での出陣を勧誘していた。
※足利一門である畠山国清は戦上手としても知られ、尊氏に従ってずっと全国を転戦した間柄。
※直冬の紀伊遠征を見て、直冬を評価したのではないか?
※近江国では下賀、高山、小原一族が直義方として挙兵。

【畠山国清】(?-1362)…和泉国国大将として湊川の戦いに出陣。その後、南朝との戦で重要な拠点となる紀伊国守護となる。尊氏と直義の和睦決裂以降(1351/10)、尊氏派となり、東国へ逃れた直義を追う側へなる。その後、関東執事として足利基氏をサポート。
11/22石塔頼房(伊勢・志摩守護)、大和国生駒山で直義方として挙兵

※石塔頼房は足利一門。父である頼房は奥州探題も務めた。

【石塔頼房】(1321-1413)…足利庶流。父・義房とともに尊氏に従い各地を転戦し、1349年から伊勢・志摩守護に。しかし、父が陸奥で失脚したため観応の擾乱では直義党に。
11/23直義、南朝に降伏を申し入れる

※ただちに直義を殺害すべきだという強硬論も出た。
※しかし、北畠親房の意見が採用。彼は一度、直義の降伏を受け入れて、彼の勢力を取り込み、南北統一を成し遂げたあとで、直義を滅ぼそう、とするもの。
11/25石塔頼房(直義方)、近江国高良荘周辺で放火
北畠親房(南朝)、石川城の直義を訪問
足利義詮(尊氏方)、東寺に籠城することが決定、要害工事開始

※近江国佐々木道誉(尊氏方)は城を築いて石塔頼房に対抗
11/27近江国大原荘内油日城麓善応寺で上野直勝(直義方)挙兵

※河内国石川城から近江国に入り挙兵。石塔頼房と連動して瀬田まで押し寄せる。
※石塔頼房はそのまま京都に進出し、上野直勝は近江で活動を続けて牽制。
(越中で桃井直常が京都に進出し、弟の直信が越中国内で活動したのと同じ構図)

【上野直勝】…生没年不明。足利一門。同族の上野頼兼は丹後・石見守護を務めた。
11/29この日、京都に到達した情報によれば、直義は使者を尊氏のもとに送り、師直・師泰の身柄を引き渡すよう要求していた

※直義は尊氏と師直の間を裂こうとする
※高師直は激怒。
11/30「師直が出家する意思を尊氏に告げた」というデマが京都に流れる

※師直と尊氏はうまくいっていなかった??
※直義派の離間の計??
11/-土佐国では細川顕氏が派遣した内嶋弥六が土佐守護高定信の代官、佐脇太郎入道の城を攻める
桃井直常
直義さま、ついに覚悟なさいましたな!
足利直義
う、うん…

兄さんを敵に回すのは忍びないけど、

師直・師泰はもう許せない!

細川顕氏
私も呼応します。

尊氏様には楠木正行との戦いで撤退したことで、それまでの活躍を無にされるようなことをされたことを根に持ってます。

石塔頼房
オイラの場合は父が尊氏様に干されたので、反尊氏として呼応します。
畠山国清
私の場合は、直冬さまを冷遇する尊氏さまにちょっと嫌気がさしまして。

紀伊遠征のときの直冬さまを支援しましたけど、あの方はなかなか良い武将になると思いますよ。

将軍は義詮さまが継ぐとしても、それなりのポジションを与えても良いのではないかと思います。

北畠親房
直義くーん、会いたかったよー。

え、南朝に降伏するだって??

面白いこと言ってるねー。

いいよー、でも、そのあと、また戦おうねー。

足利直義
ははは、望むところだ。

まずは師直・師泰を倒して、政治が安定したらいつでも相手してやるさ。

足利義詮
むむむ。もしかしたら直義おじさんが僕を殺しに来るかも知れない…

父上が帰ってくるまで何とか生き延びないと…

東寺に要塞を作るぞ!

佐々木道誉
やはり近江国に攻めおったか。

石塔頼房、マジめんどくせえな。

ここぞとばかりに歯向かってくる奴らもいるし。

まあ、院宣はこっちのもんだからな。

 
光厳上皇
直義とは通じ合っていたと思っていたのに…

直義、やめてくれー

ましてや南朝に降伏するなんて…

高師直
なんか近畿が騒がしいですね…

私と尊氏さまがうまくいっていないなんて風聞も流れているみたいですし…

っていうか、直義ちゃん、許せんな…

高師泰
ちょいま、石見国遠征してるけど、相手がなんかやたら強い…

え、桃井直常の支援が入ってる??

うーん…

足利尊氏
ハハハ、参ったなー。

ま、最終的な相手は直冬で、

直義は謝ったら許してやろうと思うんだけどねー

やっぱり僕が戻らないとかなー

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