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☞【南北朝時代第2期⑥:1350年1-9月】『直冬、少弐頼尚を味方につける!』

こんにちは。

今回ご紹介しますのは、「南北朝時代第2期⑥:1350年1-9月」です。

直冬は好条件を餌に九州勢力をまとめていきます。

少弐頼尚は直冬に期待して娘婿に迎え入れるほどです。

あまりの勢力伸長に幕府は高師泰の派遣を決定しました。

一方、美濃(岐阜県)では土岐家分家の土岐周済の反乱があり、義詮と師直が鎮圧にあたりました。

貞和6年→観応元年/正平5年(1350年)1-9月年表

1/3高師冬、再び関東執事に

※東国は関東執事上杉憲顕が強固な直義派であったため、尊氏-師直派を強化する必要があった。
※前任の高重茂(師直・師泰弟)は師冬の鎌倉到着後、京都へ戻る。重茂は政治能力は高かったが、師直・師泰とは異なり戦が弱かった。
2/27北朝、元号を「観応」にする。

※直冬はこの改元を認めず、「貞和」を使い続けた。
3/18今川直貞(直冬軍)、肥前国に侵入

※当時の肥前守護は大友氏泰。実質的には九州探題の直轄国。
※九州探題は一色範氏、直氏親子がトップ。
3/幕府、高師泰の九州派遣を検討

※しかし、出発は大きくずれ込み6月に。
6/21高師泰、京都出発

※手始めに直冬一派の石見(島根県)の国人三隅兼連(みすみかねつら)を倒す予定
※しかし、結果としては非常に難航する。
※桃井左京亮なる人物が三隅氏を支援し、師泰の進軍を止めたとあるが、詳細は不明。(桃井直常の可能性もアリ)
7/28土岐周済(美濃国)の反乱
 
※美濃国守護は土岐宗家の土岐頼康。生粋の尊氏-師直派であった。
※義詮と師直は土岐周済を討伐するため美濃国へ。義詮にとっては実質的に軍勢を指揮する立場での最初の戦い。
※高師直は戦巧者ぶりを発揮して義詮をサポート。しかし、これが師直にとって明確に勝利した最後の戦となる。
8/20義詮、師直、京都凱旋
8/22義詮、参議および左近衛中将に昇進
8/27土岐周済、処刑
9/28少弐頼尚(筑前・豊前・対馬守護)、直冬派に
 
※少弐頼尚は尊氏・直義兄弟とともに戦い、「建武式目」成立にも大きく関与。
※その後は九州探題・一色範氏とともに九州の安定化に貢献。
(ただ、鎌倉時代からの名家である少弐家に対して、一色氏は外来であり、潜在的に不和)
※直冬の九州入りに際して、直冬が頼尚の娘婿にするなど連携。
(実は両者は直冬の紀伊遠征時に顔合わせしている。)
少弐頼尚
直冬どの、少し見ない間に立派になられまして!

私の娘をいかがでしょうか?

一緒に九州、いや天下を取りましょう!

足利直冬
頼尚どの、わかりました。

まず狙いは鎮西管領(九州探題)の一色氏が狙いですね。

少弐頼尚
はい。古くは元寇を防いだ名門、少弐家こそ九州探題にふさわしいと思いませんか…

はっきり言って今の身分には不満です。

高師直
あー、これ以上、直冬ちゃんを調子に乗せるとマズイね。

師泰、頼んだよ。

高師泰
OK。
高師直
俺は美濃で土岐周済の乱を収めてくるよ、義詮さまと一緒に。
足利義詮
私が指揮する最初の戦だけど、師直がいれば心強い!
高師冬
京都暮らしも束の間…

再び東国に派遣されました高師冬です。

なんか今回は生きて帰れないような気が…