こんにちは。
今回ご紹介しますのは、「南北朝時代第2期⑲:1352年1-2月」です。
足利直義は降伏し、その1ヶ月半後、逝去しました。
奇しくも高師直・師泰らの命日で、毒殺説が根強いですが、病死と考えるのが自然でしょうか。
一方、西国では南朝が大規模な「軍勢」で京都に向かっておりました。
正平7年(1352年)1-2月 年表
1/1 | 足利直義、足利尊氏の降伏勧告を受け入れる ※伊豆国府の尊氏軍に宇都宮氏綱、薬師寺公義、小笠原政長らの軍が合流。直義は降伏。 ※仁木頼章、義長兄弟と畠山国清が直義を迎えに行く。 |
1/5 | 足利尊氏、直義とともに鎌倉へ入る |
2/3 | 後村上天皇、京都へ移るために山城国石清水八幡宮へ赴くことを宣言 ※足利義詮に伝える |
2/25 | 足利基氏、13歳で元服 |
2/26 | 足利直義、死去。46歳。 ※ちょうど1年前、高師直、師泰らが摂津国武庫川で惨殺された。 ※毒殺説が有力であるが、毒殺の文化は織豊期からなので、病死が自然か? 後村上天皇、京都を目指し、大和国賀名生を出発 ※しかし、楠木正儀らを含めた大規模な「軍勢」であった、、、 |
2/28 | 後村上天皇、摂津国住吉に行宮を定める。 |
尊氏さま、直義さまに我が軍を跳ね返す力はもうないですぞ!
ご苦労であった。
国清、直義連れてきてー。
とりあえず鎌倉に帰ろっか。
わかりましたー
直義さま、お兄様が呼んでおられます。
わかった、、、
煮るなり焼くなりしてくれ、、、
おー、直義。
また昔みたいに一緒に遊ぼっかー
兄さん、、、
(それから1ヶ月半、、、)
尊氏さま、大変です!
直義さまがお亡くなりになりました!
直義おじさーん(涙)
直義おじさんが亡くなったか…
毒殺されたのか??
えー。
病気じゃねぇ?
なんか顔色悪かったし、、
後村上天皇様ならびに北畠顕家さま、こちら楠木正儀。
計画は順調に進んでおります。
尊氏が東国に行ってる今がチャンスだっ!
うーん、なんか嫌な予感がするな、、
憎き直義おじさんが死んで喜ぶべきなんだけど、、
Ashikaga Tadayoshi died.Perhaps he died of illness.