~只今、全面改訂中~

こんにちは。

今回紹介しますのは、「南北朝時代第2期㉖:1356-7年」です。

尊氏は義詮に権限を譲りましたが、完全に引退したわけではありません。

南朝に拉致された上皇たちの返還は尊氏の働きによると言われております。

1356年(文和5年・延文元年/正平11年)年表

この年、恩賞充行権が尊氏から義詮に移動。義詮が全権掌握

しかし、尊氏が完全に引退したわけではない
2/細川頼之、足利直冬追討を命じられる

※細川頼之は後に義満を支えた管領。阿波に拠点を持つ細川頼春の息子。
※しかし、権限が少ないことを理由に阿波に逃げたため、従兄弟の細川清氏が説得して連れ帰る。(ようやく5月に召喚)
3/28北朝、延文(えんぶん)に改元
6/勅撰「新千載和歌集」編集開始

尊氏の執奏によるもの
※これには後醍醐天皇を賛美し、鎮魂する意図があった。
7/細川頼之、足利直冬方を攻撃
9/細川頼之、伊予守護に
さらに備前・備中・備後・安芸の軍事指揮権、所務沙汰審理などの権利を守護に優越する形で得る。

※正式名称はないが、「中国管領」といえる。

1357年(延文2年/正平12年)年表

2/18南朝、光厳上皇・崇光上皇・直仁親王を京都に返す

※5年ぶりの帰京となる。
※これには水面下で尊氏が南朝と交渉していた模様
※7月頃に幕府と南朝が講和した噂も流れた。
6/27尊氏、大和国興福寺で一乗院と大乗院の対立を調停

※良玄を一乗院門主とした。良玄は関白二条良基の猶子、中務卿親王の実子。中務卿親王は大覚寺統の木寺宮康仁親王と推定されており、尊氏の南朝への配慮をうかがい知ることができる。
7足利義詮、引付方を廃止
足利尊氏
さて、義詮。

将軍の仕事はお前に任せるぞ。

私はまだやり残したことがある。

足利義詮
父上、頑張ります!
光厳上皇
尊氏、かたじけない。。

私が南朝から戻れたのも水面下でお前が働いてくれたからなんだってな。。。

足利尊氏
私が生きてるうちに南朝と講和できれば、と思ってるんですがね。

そうすれば天国の後醍醐天皇も喜ぶでしょう。

「新千載和歌集」も後醍醐天皇の鎮魂です。

これで私の体調も戻るかな。

足利義詮
父上!

九州に遠征するって本気ですか!!

足利尊氏
そう、まだ九州は統一できてないからね。

これが最後の戦いになるかもな^^

足利義詮
なりませぬ!!

その背中のできものが消えないうちは駄目です!!