~只今、全面改訂中~

こんにちは。

今回ご紹介しますのは、「南北朝時代第2期㉗:1358年」です。

尊氏が死去します。

将軍は順当に義詮が就任しました。

執事は武闘派の細川清氏が就任し、彼らによって南朝掃討作戦が開始します。

1358年(延文3年/正平13年)年表

4/30足利尊氏、逝去

※現代の年齢の数え方で満52歳。背中のできものが原因と言われている…。
※新田義貞の遺児・義宗や出羽に逃れていた北畠顕信らがこれを機に再起を試みるが、組織的な蜂起とまでは至らず。
※順当に足利義詮が将軍となる。離反と帰参を繰り返していた斯波高経(足利一門、尊氏と同学年)は剃髪するが隠居したわけではなく、「道朝」と称して2代将軍となった義詮の補佐役として影響力を強める。
5/仁木頼章、執事辞職

※仁木頼章:高一族以外で初めて足利家の執事となる。足利一門であり、古くから尊氏に付き従い転戦。
※弟の仁木義長は勇猛だがトラブルメーカー。(最も有名と思われるのは、1355年、細川清氏の所領に勝手に家を建てようとして戦争になりかけたこと。)
8/22足利義満、誕生

※幕府政所執事・伊勢貞継の屋敷で生まれ、幼児期は伊勢邸で養育された。
※祖父・尊氏の死からちょうど100日目。
※母の紀良子は石清水神官善法寺通清の娘で、母を通じて順徳天皇の玄孫でもある。
※幼名は春王。
※長男ではなかったが、嫡男として扱われた。
(義詮と正室渋川幸子との間に生まれた千寿王は夭折。義満誕生の前年には義詮と紀良子の間に男子が生まれていたが名前も不明。)
10/9細川清氏が室町幕府執事となる

※足利義詮が佐々木道誉を通じて任命。細川清氏も仁木頼章同様、一貫して尊氏に付き従い、数々の武功をあげた人物であるが、仁木頼章弟の仁木義長とは犬猿の仲。
10/10新田義興武蔵国矢口渡で自害。

※新田義貞次男、新田義興は弟の義宗らと故郷の1352年上野国で挙兵し、一時は鎌倉を制圧したが、尊氏軍に徐々に追いやられて10月10日頃、武蔵国で自害。怨霊・鬼神・神霊となったという伝説がある。

※義宗は消息不明であり、1368年頃に死んだという説があるが定かではない。

12/8足利義詮、征夷大将軍就任

※新将軍・足利義詮、新執事・細川清氏がはじめにやったことが、翌年からの南朝掃討大攻勢であった。
足利義詮
父上が亡くなられた!
佐々木道誉
死因は「背中のできもの」じゃと?
「背中のできもの」が死因に至るケースってどうなんでしょう、、、

明らかに大きな悪性腫瘍が出来ていたのか、

粉瘤などから感染症となったのか、、

でも感染症で死んだとすれば「高熱」とか書かれそうな、、

本当は他の疾患が原因だったりすることもあるのかと思ったりするんですが、、

斯波高経
まあ、どっちでもいいわ。

尊氏とは長い付き合いじゃったわ。

で、義詮将軍よ、私の力を借りたいってわけだな。

足利義詮
よろしくお願いします。。。
細川清氏
いくら高経どのが家格が高く、数多の戦闘を経験して室町幕府創建に貢献したとはいえ、離反を帰参を繰り返すような奴がしゃしゃり出てくるのは、なんか好かんな。。。
義詮
清氏、お前はまだあの方のすごさをわかっていない。。。
仁木頼章
長らく執事をやらして頂きましたが、尊氏さまの死をもちまして、引退させて頂きます。
義詮
うむ!ご苦労であった!

観応の擾乱では世話になったな!

で、道誉、次の執事は誰が適任かな?

 
佐々木道誉
そうですな。
細川清氏
おっしゃー、特攻隊長を自負しております私に任せて下さい。

気に入らないやつはぶっ潰します。

義詮
え、え?

みんなで幕府を盛り立てますとか、、

そういうんじゃないの??

細川清氏
へい、盛り立てますよー、私の力で。

でも甘っちょろい世界じゃないことはわかってるでしょって。

仁木頼長
えっとー、

お前さんが言ってる「気に入らないやつ」ってのは、俺のことか?

細川清氏
あー、そうともよ。

兄さんが執事だからって調子に乗って、

俺の土地に勝手に家建てやがって。