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☞【南北朝時代第2期㉛:1362年】『新しい執事は中学生?斯波高経政権誕生】

こんにちは。

今回ご紹介しますのは、「南北朝時代第2期㉛:1362年」です。

四国で再起を図ろうとした細川清氏は同族の細川頼之によって滅ぼされました。

伊豆国で抵抗を続けていた畠山国清も、足利基氏軍の前に降参します。

細川清氏のポジションへは斯波高経、

畠山国清のポジションには上杉憲顕が就任。

この東西でのほぼ同時の政変は「直義派の復権」ともとらえられております。

康安2年→貞治元年/正平17年(1362年)年表

1/細川清氏、阿波国へ転進

※失脚した細川清氏は南朝の一員として京都奪回を果たすも味方が集まらず、京都を手放さざるを得なかった
※四国は建武以来、細川氏の勢力が大きく、清氏は四国を統一してから再び兵力を集めて義詮を討とうと考えた
※当時、従兄弟の中国探題・細川頼之が阿波・伊予守護として君臨しており、阿波守護代・新開真行に妨害された細川清氏は讃岐国に移動
※細川頼之は備中・備後の兵とともに、宇多津城(香川県宇田津町)に入り、細川清氏と対峙
※細川清氏は白峰城(香川県坂出市)に入り、淡路守護の従兄弟・細川氏春、南朝の小笠原頼清、小豆島の佐々木信胤、塩飽諸島の水軍を味方につけて対抗
※伊予国・河野通盛は細川頼之に伊予国守護と旧領返還を条件に加勢を要請したが、助力を得ることはできなかった
3/足利基氏軍による畠山国清への攻撃が本格化(@伊豆)

※畠山国清は三戸城、神益城、立野城という3つの要害をもってして対抗。
4/三戸城(@伊豆の国市)落城

※足利基氏勢は野臥合戦を繰り返したという
※西側が駿河湾に通じる三戸城陥落により畠山国清勢は軍需物資の調達が制限される
5/24岩松直国、奮戦@伊豆

※隠遁生活を送っていた旧直義党の岩松直国にチャンスが与えられ、手負いを出しながらも敵を追い返し、足利基氏に褒められる。

【岩松直国】(1320頃-1385以後)
中先代の乱における女影原の戦い(1335年)で戦死した岩松経家は兄にあたる。足利家、新田家両方の血筋を持つが、一貫して足利方として戦う。のち、岩松直国は上杉憲顕の娘を妻にもつなど、足利直義党であった。観応の擾乱以後、失脚して隠遁していた。
6/神益城(@伊豆の国市)落城

※もっとも、岩松直国は援軍も要請しており、劣勢の中でも畠山軍の強さが伺える。
6/足利基氏、上杉憲顕を越後守護に復帰させる

※6月までに行われたもよう。
※当然のことながらそれまで越後守護だった宇都宮氏綱は反発
※越後国守護代の芳賀禅可は上杉勢と数ヶ月にわたり合戦を繰り広げる
※しかし、基氏の決定は覆されることはなかった
上杉憲顕を呼び戻すことは兄の足利義詮と相談のうえと考えられている
※足利尊氏の母親は上杉憲顕の父の妹・上杉清子であり、憲顕と尊氏は従兄弟の関係であり、義詮や基氏にとって上杉憲顕は親戚。
♨それ以上に、「直義派の復権」が大きい。

宇都宮氏綱vs上杉憲顕 第1Rは【コチラ】
7/24細川清氏、戦死

※細川頼之軍が細川清氏軍へ総攻撃を仕掛けて、数多の戦場を駆け抜けてきた細川清氏、ついに戦死。
※戦力的に細川清氏優勢の場面もあったものの、細川頼之の策略(母を遣いに出して兵力が整うまで時間稼ぎ、清氏をおびき出す)が奏功

♨太平記を現代語訳してくれてるこの方のblogに詳しいです
https://note.com/runningwater/n/n37edde6cf8d1
8/斯波氏経(新・九州探題)、豊前国ほぼ制圧@九州

※大友氏時とともに。
9/21長者原(ちょうじゃばる:福岡県粕屋町)の戦い

※菊池武光 vs 斯波氏経・大友氏時・少弐冬資。菊池軍が勝利。
※その後も散発的な戦い全てで菊池武光勝利。
9/立野城合戦(@伊豆市)

※伊豆守護代・遊佐氏の誅殺をもって終結とされた。
畠山国清は降伏後、時衆・陣僧の援助を得て京都・奈良方面に逃亡したとされる
※畠山国清の敗北は、尊氏派勢力が後退し、旧直義派が復権する道を開いた画期と位置づけられる。
※足利基氏は入間川ではなく鎌倉へ鎌倉府移転。
11/斯波氏経、大内弘世を頼る

※菊池武光が豊後の斯波氏経(九州探題)を攻め、斯波氏経は大友氏時に加勢を依頼するが、今度は大友氏時はなかなか加勢せず、斯波氏経は周防国の大内弘世を頼ることになる。
?/斯波高経、4男の斯波義将(当時13歳)を執事に就かせる

※実権は高経が握り、幕政をコントロール。
※斯波高経政権下では、大内弘世、山名時氏を帰順させるなど幕政の安定化が図られた。
※斯波家は将軍家が断絶すれば将軍になるような家格で、それまでの執事である高師直、仁木頼章、細川清氏ら他の足利一門とは異なる。そのため、斯波高経は足利義詮から再三、執事要請を受けても、自身が彼らと同レベルに「落ちる」ことは良しとせず、自分の息子くらいなら良いか、ということで義将を執事に就け、自身はその補佐役(「管領」=「制度に由来する権限を制度的地位にない人が行使すること)とした。
※のちにこの「管領」という役職は後見人不要の成人が就くことになっていく。
※同じく幕府の重鎮・佐々木道誉は自分の娘婿でもある3男の斯波氏頼を推薦していたが叶わず。のちの佐々木道誉、斯波高経の争いの遠因ともなる。
?/山名氏冬(南朝:山名時氏3男)但馬制圧、丹波まで侵攻

※当時の守護は仁木義尹。wikipediaを見ると山名に勝利した的な書かれ方だが、実際は「幕府の力を借りて」、「なんとか守った」。
(→1363年に山名氏が幕府に帰参すると、丹波は山名時氏の分国となり、仁木氏の分国は仁木頼勝のもつ但馬のみとなる)
※丹波国は現在では京都市亀岡市を中心としたもので、京都の手前にあたる。ここを突破されると京都に到着。(なおざっくり東→西へ、丹波→丹後→但馬→因幡→伯耆→出雲→石見。)
細川清氏
しょうがねえ、四国を統一して兵を整えてもういっぺん挑戦しよっか!
細川頼之
あー、清氏さん、清氏さん、もうねアンタみたいな猪武者の時代じゃないの。●んで。
畠山国清
清氏さんも頑張ってるらしいな。よっしゃ俺ももうひと暴れしよっか!
足利基氏
いや、暴れんでいい。●んで。
畠山国清
な、なに、あの細川清氏さんが討たれただと。。。わしも包囲されてるし。。。こうなったら、こうなったら、、、踊ろっ。

畠山国清がなぜ「時宗(じしゅう)」を頼りにしたのかは、宗教的な側面からも注目されているとのことです。

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また、畠山国清の弟の1人、義深は、のちに越前守護に起用され、さらにその息子・基国は1398年に管領にまで出世しております。畠山氏は東国での基盤を失いましたが、弟や甥は、場を京都に移してしっかり活躍しました。

足利義詮
それはそうとて、もう世が荒れるのはこりごり。。。どうすれば天下が安泰になるだろうか。。。
足利基氏
兄ちゃん、もう諦めな。各地でその土地を実効支配している直義党の皆さんを呼び戻すしかないでしょ。
足利義詮
むむむ。まあ、そっちは上杉おじさんに頼んでみようか。こっちは斯波のおじさんに頼んでみるよ。どう出るかな。。。
上杉憲顕
義詮将軍、話は聞きましたぞ、基氏ぼっちゃん、少々、血をみる戦いになりますが、よろしいですな?
斯波高経
義詮将軍、「執事」って足利家の家政機関に私が入るのはちょっとお門違いですよねww。まあ、13歳のせがれの肩書としてはちょうど良いんじゃないですか?私は「管領」としてサポートしますよ。
佐々木道誉
(…。斯波高経、まあそれだけ言えるだけのことはやってきたとはいえ、、、面白くないな。。。)
宇都宮氏綱
こっちはこっちで勝手に政治の中枢から外されて面白いわけなかろう!
芳賀禅可
氏綱さま、ここは私に任せて下さい。基氏をやることも辞しません。
斯波義将
はーい、僕、斯波義将。義将と書いて「よしゆき」って読むからね。今度、「執事」になるのは、賢くて父ちゃんに気に入られてるからかな。