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☞【南北朝時代第2期㉞:1366年】『貞治の変で斯波高経失脚!』

こんにちは。

今回ご紹介しますのは、「南北朝時代第2期㉞:1366年」です。

 

「貞治の変」がおこり、管領・斯波高経は越前へ追いやられました。

もともと、寺社などと火種を抱えていた高経でしたが、黒幕は佐々木道誉と考えられております。

貞治5年/正平21年(1366年)年表

春?佐々木道誉、斯波高経主催の宴の日により盛大な宴を同時開催

※「五条大橋造営」の件で、斯波高経にメンツを潰されたと感じた佐々木道誉は、その報復として、斯波高経が自邸へ将軍義詮を招いて宴を開く日に、勝持寺(大原野:京都市西京区)で、より壮麗な花の宴を開いた
※それに対し高経は道誉が「二十分の一税」を滞納していたとの理由で摂津多田荘(兵庫県川西市、宝塚市)を没収して報復
7/-大内弘世、石見国制圧

※当時、まだ足利直冬を中心とする南朝勢力が残存しており、それを駆逐した戦功が認められて、石見国守護の職権も得た
8/8貞治の変

※将軍義詮は、軍勢を集結させ、斯波高経に「陰謀が露見したから、急いで守護国へ下向せよ、さもなくば治罰する」と命じた。

※足利義詮が親政を行う。
8/9斯波高経一族、越前へ

※高経は9日朝、自邸を焼き払い、息子の義将、義種らを伴い越前へ
※斯波一族は守護国を失うことになったが、杣山(そまやま)城(福井県南越前町)という天然の要害に立て籠もり、幕府軍と戦い続ける
斯波高経
さて、今日は将軍を招いての宴であったな。おや、でも、何やら大原野の方が騒がしいのう。
足利義詮
え、道誉さんが芸能人いっぱい招いて盛大なイベントやってるんだって!?(私もそっち見に行きたいかも…)
斯波高経
ぐぬぬ。道誉のやつめ、わざと今日に当ておったな!!
佐々木道誉
ふんっ。高経の悔しがる顔が目に浮かぶわ。え、報復されるだって?もう裏工作はしておるわい。
斯波義将
父上!大変だ、家が包囲されてる!
足利義詮
高経さん、申し訳ないのですが、今すぐ、お国へ帰って下さい…。高経さんには誰もついていけない、って。。。
斯波高経
義詮さま!そ、そんなの陰謀に決まっているではないですか!私は将軍権威を高めるためにひたすら頑張ってきたのに、私がいなくなったらまた世が荒れますよ!…ってもうこれは決定事項なんですね。わかりました、帰ります。南朝に下るようなことはしませんからご安心を。
佐々木道誉
これで一件落着ってことよ。まあ、杣山城は天然の要害であるが、高経は新田義貞公と同じ道を辿るのじゃ。