~只今、全面改訂中~

☞【南北朝第2期⑭:1351年6-7月】『足利義詮、御前沙汰を開始。直義は孤立し引退騒動。』

こんにちは。

今回ご紹介しますのは、「南北朝時代第2期⑭:1351年6-7月」です。

直義と折り合いの悪かった義詮は「御前沙汰」を開始し、裁判関係の大改革を行いました。

それにより直義は政治的にも孤立し、引退を決意します。

尊氏に説得されて翻意したものの、戦で勝ったとは思えないほどの体たらくぶりです。

そんな中、播磨国で赤松則祐、近江国で佐々木道誉が尊氏に反旗を翻しました。

播磨国へは義詮、近江国へは尊氏が向かうことになります、、、

観応2年/正平6年(1351年)6-7月 年表

6/-足利義詮、御前沙汰(ごぜんさた)を発足させる

※自らが処務沙汰を親裁する機関を創設。
※当然ながら引付方と権限が競合する。
※理非糺明(論人の主張も聞く)をしなかった点で画期的。「前時代的」という見方もあるが、これによって迅速な裁判が可能となった
6/13室町幕府追加法第55条制定

※寺社本所領を強力に保護し、命令に違反する論人の1/3を没収し、沙汰付命令を実行しなかった守護も罷免し、所領1/3を没収する内容。
※おそらく義詮により決定されたものと考えられる。非常に厳しい法令。
6/-河尻幸俊(足利直冬方)、正式に肥前守護となる
6/25近江国守護、佐々木六角氏頼が出家

※度重なる幕府の不協和音に嫌気がさした。
※近江守護は弟の信詮に。
(ただ、氏頼は1354年、守護に復帰し、1370年の逝去まで続ける)

また、この日、南朝との講和交渉に尽力した僧・房玄が義詮に接触。
6/29小笠原政長と諏訪直頼が交戦@信濃

※この時点で小笠原政長は尊氏派に寝返る。
※小笠原政長は信濃守護であったが、直義の勝利後、諏訪直頼が信濃守護となった。先の戦では政長も直義派として戦ったが、直義方に帰参した時期が遅かったことが評価を下げた原因であろうか。
地方ではすでに第2幕が始まっている
7/引付方、活動を停止する

※御前沙汰と業務が競合したことによる。直義は自身の制度的拠点を失う。
7/8足利直義、孤立していると世間に評される

※@洞院公賢「園太暦」
7/10赤松則祐、興良親王(南朝)を奉じて武力蜂起する

※興良親王は護良親王の遺児。1341年頃には関東で戦っていたが北畠親房と衝突して反主流派の活動に与した。
※その後、中国地方に活動の拠点を移し、播磨国守護赤松則祐と行動を共にした。(※赤松家からは赤松光範が摂津国守護に。赤松則祐が赤松円心の三男、赤松光範が赤松円心の長男の息子。)
※赤松則祐はもともと比叡山延暦寺の僧侶であり、護良親王の側近として護良親王の挙兵時から参戦して苦楽を共にした。護良親王が失脚した原因である、尊氏にはずっと反感を抱いていたはずだ。(※父の円心は尊氏に協力したが、これはおそらく戦況を見てのことであろう。)
7/13足利義詮、赤松を討つため播磨へ出撃すべく北朝へ奏文
7/19足利直義、政務引退を表明

※義詮との不和を理由に。
※尊氏はいったんは受諾したものの、思い直し、翻意するよう説得する。
7/21足利尊氏派諸将、自身の勢力圏へ下る

※仁木頼章→摂津国
※仁木義長→伊勢国
※細川頼春→讃岐国
※佐々木道誉→近江国
※赤松貞範→播磨国
※土岐頼康→美濃国
など。
7/22足利直義、尊氏の慰留により引退撤回

※尊氏、義詮、直義の三者で面会。誓約の告文を作成したとはいえ表面上の演出に過ぎない。
※この日、義詮の播磨出撃が正式決定。義詮、高師秋を訪問。師秋は直義派であったが、義詮と接近している。
7/27足利義詮の正妻・渋川幸子、男児を出産

※京都は歓迎ムードとなるが、5歳で夭折
※尊氏の近江国遠征が1日延びる。
7/28足利尊氏、佐々木道誉を討つために近江国に出陣

※佐々木道誉は赤松満祐の舅であり、満祐に同調して南朝に寝返る。
※美濃の土岐氏もこれに同調。
7/29足利義詮、播磨へ出陣

※従軍予定であった石橋和義が突然出家したためいったん中止となったが、思い直して夜中に出発。
※石橋和義は政争に嫌気がさしたか。
この日、仁木義長が伊勢・志摩守護の石塔頼房と交戦
7/30足利直義、京都を脱出して北陸へ向かう

※直義は尊氏、義詮をはじめ尊氏派諸将が京都を離れているのは自分を包囲するためと解釈した。
※桃井直常の進言により深夜に京都を脱出。今度は北陸へ向かう。同行したのは斯波高経(越前守護)、桃井直常(越中守護)、上杉朝定、上杉朝房、山名時氏(若狭守護)、畠山国清、上野頼兼、吉良満貞、吉良満義、高師秋、長井広秀、二階堂行諲、諏訪直頼、赤松光範ら。
※細川顕氏(京都守護)、大高重成らが加わっていない点にも着目。彼らは努力に報いない直義に嫌気がさしていた。
※ただ、直義の解釈は誤解であった可能性もある。
足利義詮
これより御前沙汰(ごぜんさた)を開始する!
ほう、これは大改革ですな。

これまで幕府は訴人・論人双方の主張を聴いて公平な裁定を下す「調停者」の役割でしたけど、

政権に貢献したものに恩賞として利益を与える「主君」へと変質するんですな。

足利直義
しかし、訴えられた人の反論を聞かないとはいかがかな。

北条義時、泰時どの以来、論人の反論を聞いて裁くのが慣例ではあったし、

それこそが理想の裁判じゃないと思うが、、、

足利義詮
だから直義おじさんとは一緒に仕事出来ないって言うの!

結局、裁判が長引くんだよ!

裁判が長引くと費用も労力もかさむ!

裁判のノウハウは蓄積されたから、もう明らかに相手が悪いケースに関しては迅速に対応すべきなんだ!!

細川顕氏
ほー、義詮さまも中々やりますな。

っていうか、私らも実は長引く裁判とか面倒だし、、、

そっちの方が良くないかね…

畠山国清
うーむ、、、

それはそうと、あれだけ命がけで戦った割には報酬が少ない気がする、、、

なんせ恩賞を与えるのがついさっきまで殺し合いをしていた尊氏さまなわけだからね、、、

なんだかなぁ~。

足利尊氏
引付方が活動を停止したか。

よしよし、思惑通りだ。

赤松則祐
なんか、揉めてるな。

今がチャンス、我々は興良親王を奉じて武力蜂起する!

尊氏、覚悟!

足利義詮
ちっ、いつまで過去のことを引きずってるんだ!

お父上(円心)は立派な方だったのに…

則祐、お前の相手は私だっ!

佐々木道誉
ありゃまあ、ムコ殿の則祐ちゃんが反乱起こしちゃったよ。

舅としては同調せざるを得ないなー。

足利尊氏
ほー、道誉が、反乱だってかー?なんだろ?

ちょっくら近江に行ってくるわ。

孫の顔見てから道誉の相手してくるよ。

足利直義
え?え?え?

これ、どうなってるの??

京都、ガラ空きだけど??

桃井直常
直義さま、これは相手の罠かも知れません。

見方によっては我々が包囲されているとも考えられます。

我々の味方が多い北陸で勢力を整えましょう!

皆のものも行くぞ!

細川顕氏
うーん、それはどうだろうな、、、

義詮さまはともかく、寛容な尊氏さまが直義どのを叩こうとしているようには見えんのですが、、、

私は京都に残ります。

足利尊氏
ハハハ、さあ、どうだろうね。