~只今、全面改訂中~

こんにちは。

今回ご紹介しますのは、「南北朝時代第2期⑬:1351年4-5月」です。

直義は南朝との和睦交渉を進めておりましたが、頓挫しました。

また、直義は義詮との同居を試みましたが、拒否されております。

桃井直常が暗殺未遂事件に巻き込まれるなど、京都は依然として穏やかではありません。

観応2年/正平6年(1351年)4-5月 年表

4/2佐々木道誉以下、尊氏派7名の所領安堵が決定

※佐々木道誉、仁木頼章、仁木義長、土岐頼康、細川清氏ら。
※彼らは擾乱一幕において最期まで尊氏に付き添った守護級の人物。
※恩賞充行権を尊氏が保持していたとはいえ、彼らですらようやく罪人を逃れた程度であるため、直義の力がまだ強いと見るべき。

僧・房玄(使者)、北畠親房に面会
4/3足利直義、三条殿の義詮と同居しようとするが拒否される
4/4幕府の事書が後村上天皇に披露される

僧・房玄は歓待を受け、大僧正(僧侶として最高位)まで任命されている。
4/9僧・房玄、帰京
4/11僧・房玄、講和交渉の結果を直義に報告

※歓待を受けた割には、交渉は不調。
4/16足利直義、山名時氏邸に移住
4/25足利直義、押小路東洞院邸(新居)に移住
4/27足利直義、楠木正儀を使者として再度、南朝に事書を提出

※①皇位継承問題。南朝は後村上天皇に一本化を主張。直義は両統迭立を主張。
※②幕府の存続。南朝は政務をいったん南朝に返還を要求し、その後、考えると主張。直義は当然、幕府の存続を主張。
※③所領問題。南朝はすべての武士の本領安堵を保証。直義は南朝の武士が各地で侵略行為を行っている点を批判。
5/4桃井直常、女装した武士に襲撃される  

※幸い大事には至らず。あらかじめ武装していた。
※直義の新邸を訪問した後のできごと。
5/8足利尊氏が美濃国に逃れるとの噂が流れ、都中が騒然となる
5/15足利直義と南朝の講和交渉、完全決裂

※南朝の使者が入京し、直義の提案を却下した旨を告げる。
※講和交渉に熱心だった楠木正儀は南朝上層部に激怒しており、自分が北朝に寝返って吉野を滅ぼすことまで提案。

北畠親房
えっとさー、直義くん、

君、南朝に降伏したよね??【コチラ】

足利直義
えー、えっと、まあ、そうだったっけな(汗)
北畠親房
それでだ。南朝に降伏した君が、北朝を代表する尊氏に勝ったわけだから、

南朝の天下が来たってことじゃないのかね?

足利直義
え、えっと、あのときの降伏は方便っていうか、、、

その、尊氏兄さんに対抗するために一時的に降伏したに過ぎなくて・・・

今はまた尊氏兄さんと一緒にやることになったから、ほら、、、

北畠親房
ふーん、ずいぶん虫の良い話だな。

「観応」元号を使っていたのも、気に食わなかったけど、

ますます気に食わんわ。

そんなんで世の中が通ると思ってんのか??

足利直義
えっと、だからこうやって話し合いをしたいと思っていて、、

北朝と南朝、「両統迭立」っていうのはどうだろう??

北畠親房
たわけっ!!

貴様、「神皇正統記」を読んだのか!

正式な天皇は後村上天皇さまじゃ!

なんでいまさら両統迭立なんてせなあかんねん!

足利直義
うーん。。。(実際にメインで戦ったのは南朝の人たちじゃなくて私の部下なんだけどな…)

それはそうと、南朝の方々がいろんなところで侵略行為してるの、やめてもらってもいいですか?

北畠親房
黙れ黙れ!

臣下の分際で!

ま、幕府の存続は考えてやってもいいがなっ!

足利直義
あかん・・・

この人、あかん・・・。

楠木正儀
なんであんなに頭が堅いんだ!!

直義どの、私と組んで、南朝に攻め込みましょうか?

もう私、頭にきましたわ!!

足利義詮
直義おじさん、僕と一緒に住んで僕のサポートしたいだって??



師直さん殺してどの口が言ってんだ!

俺に指図なんか要らねえ、

一緒になんか住んでたまるか!

桃井直常
むむむ。

ワシを狙うとはなかなかの度胸じゃのう。

誰の差し金かな…。

これはもう一波乱ありそうだな…

Negotiations for a peace between Ashikaga Tadayoshi and the Southern Court failed.