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1351年 日本

  • 2024/02/09
  • 2024/02/09

☞【南北朝時代第2期⑱:1351年12月】『宇都宮軍が快進撃!南朝は三種の神器を接収。』

こんにちは。 今回ご紹介しますのは、「南北朝時代第2期⑱:1351年12月」です。 宇都宮氏綱を味方につけた足利尊氏軍は、上杉憲顕ら直義軍を次々に破ります。 一方、京都では南朝が北朝より三種の神器を接収しました。 正平6年(1351年)12月 年表 12/1 […]

  • 2024/02/08
  • 2024/02/08

☞【南北朝時代第2期⑰:1351年11月】『正平の一統:南朝と幕府が電撃合体して北朝が消滅!』

こんにちは。 今回ご紹介しますのは、「南北朝時代第2期⑰:1351年11月」です。 幕府と南朝が電撃合体しました。 「正平の一統」と呼ばれます。 幕府側は尊氏ではなく、義詮と佐々木道誉が主導したと言われておりますが、 「幕府の存続」の明言化を求めた尊氏と、「直 […]

  • 2024/02/02
  • 2024/02/02

☞【南北朝時代第2期⑯:1351年9-10月】『尊氏ー直義の講和会議、再び決裂!、舞台は関東へ?』

こんにちは。 今回ご紹介しますのは、「南北朝時代第2期⑯:1351年9-10月」です。 八相山(虎御前山)における尊氏軍と直義軍(桃井、畠山、石塔)の戦いは、尊氏の勝利に終わりました。 その講和交渉は決裂。 桃井直常が強硬派を貫く一方で、畠山国清は、尊氏方に寝 […]

  • 2023/12/22
  • 2024/02/02

☞【南北朝時代第2期⑮:1351年8月】『直義、北陸へ。観応の擾乱第2幕開始。』

こんにちは。 今回ご紹介しますのは、「南北朝時代第2期⑮:1351年8月」です。 尊氏が佐々木道誉を討ちに近江に、義詮が赤松満祐を討ちに播磨へ向かった隙に、直義は北陸へ逃亡します。 尊氏は直義に政務復帰を促しますが、そこに「桃井直常との絶縁」を条件としました。 […]

  • 2023/12/17
  • 2023/12/17

☞【南北朝第2期⑭:1351年6-7月】『足利義詮、御前沙汰を開始。直義は孤立し引退騒動。』

こんにちは。 今回ご紹介しますのは、「南北朝時代第2期⑭:1351年6-7月」です。 直義と折り合いの悪かった義詮は「御前沙汰」を開始し、裁判関係の大改革を行いました。 それにより直義は政治的にも孤立し、引退を決意します。 尊氏に説得されて翻意したものの、戦で […]

  • 2023/11/24
  • 2023/11/24

☞【南北朝第2期⑫:1351年3月】『尊氏と直義のトップ会談!直義、大失策??』

こんにちは。 今回ご紹介しますのは、『南北朝第2期⑫:1351年3月』です。 戦が終わり、尊氏と直義による会談がもたれました。 ここで、以前の体制(三条殿体制)が復活することとなりましたが、義詮(三条殿)と直義(その補佐)の間では不協和音があり、 また恩賞充行 […]

  • 2023/11/15
  • 2023/12/14

☞【南北朝第2期⑪:1351年2月】『打出浜の戦い!そして、師直・師泰の最期』

こんにちは。 今回ご紹介しますのは、「南北朝時代第2期⑪:1351年2月」です。 尊氏軍と直義軍は打出浜(兵庫県)で一大決戦を行います。 結果は直義軍の勝利。 執事として長く足利家を支えてきた高師直・師泰らは深手を追ったうえに出家させられます。 さらに京都へ向 […]