こんにちは。
今回ご紹介しますのは、「南北朝時代第1期⑭:1344年」です。
東国では春日顕国が討ち取られ、北朝の優位が決定しました。
康永3年/興国5年(1344年)年表
2/25 | 高師冬、鎌倉へ戻る |
閏2/2 | 高師冬、鎌倉進発、京都へ |
3/4 | 春日顕国、馴馬沼田城(茨城県稲敷市)を攻撃 ※同胞とも言える北畠親房は西国へ移ったが、春日顕国は行動を別にして東国に潜んでいた。 |
3/7 | 春日顕国、大宝城に押し寄せて立て籠もる |
3/8 | 大宝城陥落 ※下総結城直光による。兄の敵をとったことになる。 |
3/9 | 春日顕国、誅殺 ※足利尊氏「東国は春日顕国討たれて平和になったぞ」 |
3/- | 五方制引付方から三方制内談方へ改組 ※以後、高師直・上杉朝定・上杉重能が頭人を務めた。 |
5/19 | 高師冬の代わりに高重茂が関東執事に就任 |
10/- | 「夢中問答集」刊行 足利直義と臨済宗の高僧である夢窓疎石の対談集。大高重成という高師直の又従兄弟が刊行。 |
-/- | 夏、黄河大氾濫 |
-/- | 阿蘇氏の内紛 ※北朝方に寝返った父・阿蘇惟時が攻め込むが、娘婿の阿蘇惟澄がこれを打ち破る。 ※その後、惟時は帰順を明確にしなかったが、惟澄により1350年、南朝方であることを明確にさせられる。 |
まあまあ手こずったけど、春日顕国を討ち取ったことで、東国は平和が訪れたぞ。
顕国、、
よく戦った、、
無念じゃのう、、
1339年に関東執事に就任して以来、5年か、、
ようやく任を解かれた、、
誰か褒めて、、
まだまだ終わりではないぞ、、、
のう、正行(まさつら)。
準備しておけよっ。
あ、どうも。
私、楠木正成の長男、楠木正行(まさつら)です。
今まで束の間の平和を謳歌しておりましたが、
親房どのが西に戻って来られたことで、戦の矢面に立つことになりました。
ま、本気出しちゃいます。
九州では南朝が有利でござる!
私がいるからなっ!