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☞【南北朝時代第1期⑦:1338年7-8月】『新田軍、義貞戦死も脇屋義助が奮戦!』

こんにちは。

今回ご紹介しますのは、「南北朝時代第1期⑦:1338年7-8月」です。

越前で斯波高経を相手に戦っていた新田義貞が戦死しました。

しかし、その後も新田軍は弟の脇屋義助を中心として、互角の戦いをします。

一方、足利尊氏は征夷大将軍の位に、足利直義は従四位上・左兵衛督につき、二頭政治が正式に始まります。

建武5年(暦応元年)/延元3年(1338年)7ー8月年表

7/5高師直、籠城する春日顕国(南朝)を滅ぼすため石清水八幡宮を焼き払う

※石清水八幡宮の八幡大菩薩は主君である足利家の氏神だったため、春日顕国は石清水八幡宮に籠城すれば攻撃してこないだろうと考えたが、高師直はそれを逆手に取った。
※この件は他の寺社勢力も震撼する。
閏7/2新田義貞、「藤島の戦い」にて敗死

※越前藤島(福井県福井市)で斯波高経(越前)と戦う。
※平泉寺の衆徒の裏切りにより、人数的に劣ることとなった。
※平泉寺の衆徒が立て籠もる藤島城を包囲する自軍を助けるために50騎で向かったところ、敵の歩射部隊と遭遇し、流れ矢にあたる。(ただ、新田義貞がどこで死んだかは確定できていないのが現状。)
※その後は弟の脇屋義助が新田軍を率い、戦果をあげていく。
※また、越後国では義貞の息子・新田義宗が一族郎党を率いて躍動。北陸方面において、斯波高経軍と互角の戦いをする。(新田軍は義貞の死が敗北に直結せず、その後も北陸地方において互角の戦いをする。)
※斯波高経、新田義貞ともに足利一門で、ともに30代で同世代であった。
8/11足利尊氏、征夷大将軍となる

※直義も同時に従四位上・左兵衛督に昇進した。これは尊氏からの「プレゼント」。
※尊氏、直義による二頭政治がいよいよスタート
8/15北畠親房、親王ら、伊勢国から出航

※※北畠顕家、新田義貞といった有力武将を失った南朝方は親王たちを地方に派遣して、地盤を築くことを目標とした。
※義良親王、宗良親王を伴った北畠親房、顕信(顕家弟)は海路奥州へ。
※懐良親王は「征西大将軍」として、五条頼元とともに九州へ派遣。
8/28「暦応」に改元

※光明天皇即位に際して朝廷が主導で改元。
※足利尊氏らが知ったのは9/4だったとのこと。
新田義貞
越前に来た時はどうなるものかと思ったけど、なんとか勢力を盛り返した。

しかし、困ったのは平泉寺の裏切りじゃ。

藤島荘の交付を条件に足利方に寝返りやがった。

僧兵
義貞どの、悪く思うな。

わしらはわしらで勝ち馬に乗るだけなんじゃ。

藤島城に籠もるぞ。

新田義貞
うぬ。

しょうがない、包囲している味方たちを鼓舞してこよう。

あれ?

もしかして、あれって、、、

新田義貞ぢゃね??

え、総大将があんな少人数でいるわけないと思うけど、、、

こっちに気づいてないみたいだし、射っちゃってみていいかな?

新田義貞
!!!!
あ、当たった!

あれ、ホントに義貞かなー??

とりあえず、ま、ボス(細川孝基)に報告しよー!

新田義貞
不覚、、、
脇屋義助
兄者!

兄者の意志は私が継ぐ!

そして、越後の義宗と連携して北陸に新田王国を築くぞっ!

高経、覚悟しろっ!

斯波高経
そっか、義貞、死んだか、、

弟の義助とは同級生じゃ。

一族であることには間違いないが、家格はワシの方が全然上じゃ。

容赦せんぞー。

 
足利尊氏
はははー。

義貞、なんで流れ矢なんかに当たるかなー。

僕なら当たらないけどねー。

顕家も義貞も倒したから、ちょっとお祝いしちゃおっかっ。

征夷大将軍、名乗ってみたかったんだよねー。

直義にも官位をプレゼントするよー。

足利直義
兄さん、ありがとうー!

これでようやく2人の夢がかなったねー。

高師直
ふーん。
足利尊氏
これから2人で頑張ろう。

恩賞を与える権限は僕、

裁判の判決、所領の安堵は直義ね。

足利直義
うんっ!

仏教思想に基づいて、理想の政治を行おう!

高師直
ははっ。

仏教だとかなんだとか、直義ちゃんはちょっとかてぇんだよなー。

石清水八幡宮に隠れれば攻撃してこないとか考える奴もいるけど、
おかしな話だよねー。

高師泰
ホントそれ。

それに寺社なんて僧兵ばっかで目障りなだけでしょー。

つけあがらせて良いことないでしょ。

土岐頼遠
結局、実力勝負だね。

青野原での顕家には参ったけど、俺は死んでないぞー。

次の敵は脇屋義助かなっ。

北畠親房
何を言うとるかー!

まだ負けたわけじゃないぞー!

地方からひっくり返したる!!

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