~只今、全面改訂中~

こんにちは。

今回ご紹介しますのは、「南北朝時代第1期⑮:1345-6年」です。

足利尊氏が若かりし頃に作った子供が18歳となり、父への謁見を求めました。

しかし、尊氏はこれを拒否。

不憫に思った直義は自分の養子とし、直冬(ただふゆ)と名付けます。

この件がのちに幕府を二分する大きな争いに発展するのですが…

康永4年→貞和元年/興国6年(1345年)年表

7/4彗星出現

※同月末には大洪水発生
8/-天龍寺落成
9/-疫病流行
10/21北朝、貞和に改元

※洪水、疫病などのため
-/-足利直冬(18)、還俗して父との謁見を申し出るも、尊氏はこれを許さず

※「太平記」による。
※尊氏の一夜限りの相手の子とされる直冬は東勝寺(鎌倉)で生活していた。
※18歳にして還俗し、京都へ向かい父との謁見を申し出るも、尊氏に断られる。
※その後も京都で暮らしていたところ、武家や朝廷に学問の講義をしていた独清軒玄慧法印の目に止まり、直義の養子となった。(当時、直義には子供がいなかった。)
-/-石塔義房、奥州総大将解任

※足利一門でもあった石塔義房は奥州の南朝派(伊達氏、北畠顕信ら)を圧倒し、奥州をまとめあげたが、その勢力を危険視した尊氏により解任される。そのため、石塔義房およびその息子頼房は観応の擾乱で反尊氏派として直義に味方することになる。
※吉良貞家、畠山国氏が「初代奥州管領」となる。(その後の観応の擾乱では貞家が直義党、国氏が尊氏党として戦い、貞家は国氏を自害に追い込んでいる)

貞和2年/興国7年→正平元年(1346年)年表

12/8南朝、正平に改元

※以後、1370年まで続く、日本で6番目に長い元号となる。(昭和、明治、応永、平成、延暦の次)
-/-姫路城築城

※北朝の赤松貞範(赤松円心次男)による。当時はまだ小さいものだったとされる。
-/-高師直、武蔵国守護就任

※この時期、幕政は安定。
※足利直義と高師直が不仲とは言い切れず、高師直は権力を回復。
新熊野
(足利直冬)
やっと父に会える!
足利尊氏
え、知らないよ?

誰?

俺の子じゃないでしょ?

足利直義
兄さん、それはひどすぎるんじゃないか、、
足利尊氏
俺には義詮がいるだろ

また争いの火種を作ってどうする?

俺から何を奪おうというのだ?

新熊野
(足利直冬)
そ、そんな、ただ会いたかっただけなのに…
足利直冬
かわいそうに…。

血を分けた同胞だ、私の養子となるが良い。

名前も私の「直」を与えるから直冬とするが良い。

足利直冬
ありがとうございます。