- 2022/08/17
- 2023/03/19
☞【鎌倉後期㉖:1316-7年】『両統迭立?文保の和談!』
こんにちは。 今回ご紹介しますのは、「鎌倉後期㉖:1316-7年」です。 1316年、執権は数え年14歳となった得宗・北条高時へ。 もっとも、政治の実権は家臣の長崎高資(長崎円喜の息子)に握られておりました。 一方、京都では天皇位をめぐって持明院統と大覚寺統が […]
こんにちは。 今回ご紹介しますのは、「鎌倉後期㉖:1316-7年」です。 1316年、執権は数え年14歳となった得宗・北条高時へ。 もっとも、政治の実権は家臣の長崎高資(長崎円喜の息子)に握られておりました。 一方、京都では天皇位をめぐって持明院統と大覚寺統が […]
こんにちは。 今回ご紹介しますのは、「鎌倉後期㉕:1312-5年」です。 1311年に北条基時(第10代執権)、北条貞時(第9代執権)が相次いで亡くなったのに続き、 1312年に北条宗宣(第12代執権)、1315年に北条熙時(第13代執権)も亡くなりました。 […]
こんにちは。 今回ご紹介しますのは、「鎌倉後期㉔:1309-11年」です。 1311年、第10代執権・北条師時が死去します。 満36歳の若さでした。 そして、第9代執権・北条貞時も死去します。 こちらも満39歳という若さでした。 第11代執権には、「嘉元の乱」 […]
こんにちは。 今回ご紹介しますのは、「鎌倉後期㉓:1306-8年」です。 1308年、後二条天皇が23歳(数え年24)の若さで亡くなります。 持明院統と大覚寺統、それぞれ10年ずつ天皇になろう、という約束もあったようですが、 在位7年という短さでの逝去でした。 […]
こんにちは。 今回ご紹介しますのは、「鎌倉後期㉒:1303-5年」です。 1305年、北条一門の内紛が再び生じ、 連署・北条時村が誅殺されます。 問題はこれが北条宗方の単独犯なのか、北条貞時の命を受けてのものなのかなのですが、 いずれにしても実行犯の北条宗方は […]
こんにちは。 今回ご紹介しますのは、「鎌倉後期㉑:1300-02年」です。 「永仁の徳政令」は二転三転し、結局、越訴(再審請求)は復活します。 北条貞時は自身の政治力に限界を感じたのか、はたまた過労による疲れか、たまたま見かけたハレー彗星を凶兆と考え出家してし […]