- 2022/02/25
- 2022/02/26
☞【幕末年表⑬:1864年・下半期】『可能なら非公式に、必要ならば公式に支配を拡大』
こんにちは。 今回ご紹介しますのは、「幕末年表⑬:1864年・下半期』です。 いよいよ長州藩は皇居に乗り込み、戦闘開始となります。(禁門の変) しかし、激戦の末、長州藩は敗北。 来島又兵衛、久坂玄瑞といった攘夷派の中心人物の多くを失いました。 また、この戦闘の […]
こんにちは。 今回ご紹介しますのは、「幕末年表⑬:1864年・下半期』です。 いよいよ長州藩は皇居に乗り込み、戦闘開始となります。(禁門の変) しかし、激戦の末、長州藩は敗北。 来島又兵衛、久坂玄瑞といった攘夷派の中心人物の多くを失いました。 また、この戦闘の […]
こんにちは。 今回ご紹介しますのは、「幕末年表⑫:1864年上半期」です。 「参与会議」は慶喜が久光らを「奸物」と罵り空中分解。 何の成果もないまま終了しました。 八月十八日の政変以降、反撃の機会を窺っていた長州藩および攘夷派志士たちですが、 新選組に計画を知 […]
こんにちは。 今回ご紹介しますのは、「幕末年表⑪:1863年下半期」です。 7月、前年の「生麦事件」の報復戦争とも言える、「薩英戦争」が起こりました。 押し寄せるイギリス艦隊の前に薩摩は苦戦を強いられましたが、 薩摩も相手艦長のうち1人を死傷させるなど、健闘し […]
こんにちは。 今回ご紹介しますのは、「幕末年表⑩:1863年上半期」です。 14代将軍・徳川家茂は攘夷派が牛耳る朝廷に呼び出されました。 そして、しつこく攘夷期限を急かされます。 やむを得ず「5月10日」と答えたところ、 ホントに長州藩は外国船に向かって砲撃を […]
こんにちは。 今回ご紹介しますのは、「幕末年表⑨:1862年下半期」です。 島津久光と公武合体派朝廷による「文久の改革」が実行に移され、 徳川慶喜は「将軍後見職」に、松平春嶽(慶永)は「政事総裁職」に就任しました。 また、最も危険極まりない京都の警備を行う「京 […]
こんにちは。 今回ご紹介しますのは、「幕末年表⑧:1862年上半期」です。 長井雅楽の「航海遠略策」が採用されるかと思いきや、 賛成派の老中・安藤信正が「坂下門外の変」を受けて失脚。 この国難に島津久光が入京します。 「攘夷実行」と思い込んだ尊攘派とは反対に、 […]
こんにちは。 今回ご紹介しますのは、「幕末年表⑦:1861年」です。 大体的に扱われることは多くありませんが、 この年、ロシアが対馬を占領する「ポサドニック号事件(対馬事件)」が起きました。 イギリスとロシアによる「グレート・ゲーム」は日本にも影響を及ぼしてい […]