- 2022/07/05
- 2022/07/08
☞【鎌倉後期⑬:1285-6年】『安達泰盛vs平頼綱、霜月騒動!』
こんにちは。 今回ご紹介しますのは、「鎌倉後期⑬:1285-6年」です。 得宗家の家臣(御内人)の筆頭(内管領)である平頼綱が、有力御家人である安達泰盛を急襲しました。 これにより安達泰盛一族および安達派がほぼ壊滅します。 平頼綱は以後、強大な権力のもと、恐怖 […]
こんにちは。 今回ご紹介しますのは、「鎌倉後期⑬:1285-6年」です。 得宗家の家臣(御内人)の筆頭(内管領)である平頼綱が、有力御家人である安達泰盛を急襲しました。 これにより安達泰盛一族および安達派がほぼ壊滅します。 平頼綱は以後、強大な権力のもと、恐怖 […]
こんにちは。 今回ご紹介しますのは、「鎌倉後期⑫:1284年」です。 第8代執権・北条時宗が満32歳の若さで夭折しました。 大蒙古軍との戦いに捧げたような一生でした… 以前は「時宗英雄論」が盛んでしたが、 近年では見方が変わってきているようです。 弘安8年(1 […]
こんにちは。 今回ご紹介しますのは、「鎌倉後期⑪:1282-3年」です。 早くもフビライは3度目の遠征準備を開始します。 一方、北条時宗は戦死者を祀るため円覚寺を建立しました。 日本兵はもちろん、元軍の兵士も祀りました。 弘安5年(1282年)年表 3/1 一 […]
こんにちは。 今回ご紹介しますのは、「鎌倉後期⑩:1281年」です。 前回の3倍以上の人数で元軍が攻めてきました。 最終的に「神風」により元軍が撤退したのですが、 3ヶ月にも渡り元軍の九州上陸を許さなかった武士たちの奮戦こそ記憶に留めるべきでしょう。 弘安4年 […]
こんにちは。 今回ご紹介しますのは、「鎌倉後期⑨:1279-80年」です。 フビライは南宋を滅ぼし、再び日本征服を目指します。 一方、北条時宗は中国から無学祖元を招き、精神的支柱を得ます。 弘安2年(1279年)年表 1/28 元が南宋を滅ぼす(崖山の戦い) […]
こんにちは。 今回ご紹介しますのは、「鎌倉後期⑦:1277-8年」です。 この頃、皇位をめぐる持明院統と大覚寺統の争いが激しくなります。 幕府の内諾がカギとなりました。 建治3年(1277年)年表 元とパガン朝(ビルマ)の戦争開始 ※南宋征服後、さらなる領土拡 […]
こんにちは。 今回ご紹介しますのは、「鎌倉後期⑥:1276年」です。 「幻の高麗出征」が建議されました。 建治2年(1276年)年表 1 南宋、臨安陥落(※1) ※モンゴルのバヤン将軍により臨安占領。(事実上の南宋滅亡)※陸秀夫らは幼い親王を連れて南に逃げる。 […]