- 2022/07/13
- 2022/07/15
☞【鎌倉後期⑯:1291-2年】『鎮西探題設立へ!』
こんにちは。 今回ご紹介しますのは、「鎌倉後期⑯:1291-2年」です。 6年に渡る「カダアンの乱」はフビライの孫、テムルによって鎮圧されました。 これにてテムルがフビライの後継者とみなされます。 一方、日本では3度目の来襲に備えて、「異国打手大将軍」が北条氏 […]
こんにちは。 今回ご紹介しますのは、「鎌倉後期⑯:1291-2年」です。 6年に渡る「カダアンの乱」はフビライの孫、テムルによって鎮圧されました。 これにてテムルがフビライの後継者とみなされます。 一方、日本では3度目の来襲に備えて、「異国打手大将軍」が北条氏 […]
こんにちは。 今回ご紹介しますのは、「鎌倉後期⑮:1288-90年」です。 日本は3度目の襲来に備えておりましたが、 元は、ベトナム遠征の失敗、いまだに続く内乱などで、 それどころではありませんでした。 弘安11年/正応元年(1288年)年表 3 白藤江の戦い […]
こんにちは。 今回ご紹介しますのは、「鎌倉後期⑭:1287年」です。 モンゴルでは「東方三王家」と呼ばれる親戚筋から「ナヤンの反乱」が起こり、フビライ自ら鎮圧しました。 日本では霜月騒動の余波を受けて、天皇が大覚寺統から持明院統に交代しました。 伏見天皇(当時 […]
こんにちは。 今回ご紹介しますのは、「鎌倉後期⑬:1285-6年」です。 得宗家の家臣(御内人)の筆頭(内管領)である平頼綱が、有力御家人である安達泰盛を急襲しました。 これにより安達泰盛一族および安達派がほぼ壊滅します。 平頼綱は以後、強大な権力のもと、恐怖 […]
こんにちは。 今回ご紹介しますのは、「鎌倉後期⑫:1284年」です。 第8代執権・北条時宗が満32歳の若さで夭折しました。 大蒙古軍との戦いに捧げたような一生でした… 以前は「時宗英雄論」が盛んでしたが、 近年では見方が変わってきているようです。 弘安8年(1 […]
こんにちは。 今回ご紹介しますのは、「鎌倉後期⑪:1282-3年」です。 早くもフビライは3度目の遠征準備を開始します。 一方、北条時宗は戦死者を祀るため円覚寺を建立しました。 日本兵はもちろん、元軍の兵士も祀りました。 弘安5年(1282年)年表 3/1 一 […]
こんにちは。 今回ご紹介しますのは、「鎌倉後期⑩:1281年」です。 前回の3倍以上の人数で元軍が攻めてきました。 最終的に「神風」により元軍が撤退したのですが、 3ヶ月にも渡り元軍の九州上陸を許さなかった武士たちの奮戦こそ記憶に留めるべきでしょう。 弘安4年 […]