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☞【南北朝時代第2期㉔:1354年】『南朝、直冬を総大将として京都へ進軍!』

こんにちは。

今回ご紹介しますのは、「南北朝時代第2期㉔:1354年」です。

南朝は北畠親房というリーダーを失いました。

しかし、足利直冬を総大将として息を吹き返し、3度目の京都奪回を目指します。

迎え撃つ北朝は、「わざと京都を取らせて補給路を塞いで包囲する」という作戦をとります。

正平9年/文和3年(1354年)年表

4/17北畠親房、死去

※享年62。南朝はリーダーを失う。
5/21足利直冬、石見国を発ち京都を目指す

※前年6月に京都を撤退した山名氏は今度は直冬を総大将として奉じることを考えた。
5/27足利直冬、石見国内で足止めを受ける

※幕府方:荒川頼直と小笠原左近将監の攻撃による。
※かつて直冬を討とうとした高師泰が岩田胤時らによって石見国で足止めされたのとは逆パターン【コチラ】。
9/14足利直冬、進軍再開

※石塔頼房(丹波)、山名時氏(但馬)、桃井直常(越中)が呼応。
※斯波高経(越前)とその息子氏頼もまたまた幕府を裏切って呼応。
※楠木正儀(河内)も加わる。
10/18足利義詮、佐々木道誉、赤松則祐らを率いて京都を発つ

※播磨国広山八幡に大軍で布陣。
12/24足利尊氏、後光厳天皇を奉じて近江国武佐寺に退く

※直冬が入京したら東西から挟撃する計画
※京都攻防の要点は「わざと京都を占領させ物資の補給路を封鎖して包囲攻撃すれば容易に奪回」。(楠木正成がかつて後醍醐天皇に献策したものと同じ【コチラ】)
※尊氏の出陣が遅れたのは23日に母の13回忌を行ったから。敵の大軍が接近していてもこの強心臓ぶりである。
北畠親房
ううう。。。

私が死んだあとの南朝はどうなるんだ。。。

 
山名師義
親房どのがお亡くなりになられた。。。

直冬どのを総大将として京都に入りましょう。

足利直冬
わ、私もそうしたいんだが、刺客との戦いが長引いてる!

これが片付いたら向かおう!

斯波高経
ふむ、桃井、石塔、山名も動いたか。

しょうがない、私も呼応しよう。

このメンバーで天下をとったとしたら、私が家格としてはNo.1かな。

足利義詮
今回の相手は手強い気がする。。

本当に大丈夫だろうか。。

佐々木道誉
はい、尊氏さまの作戦通りでいきましょう!
足利尊氏
ふわぁーい。

母の13回忌、やってきたからそろそろ作戦に移るわー。

まあ、大丈夫だって。