~只今、全面改訂中~

こんにちは。

今回ご紹介しますのは、「建武政権⑬:1336年4月」です。

大夫四郎は追い払った斯波家長でしたが(@鎌倉)、

その後、東上してきた北畠顕家には惨敗、

鎌倉から退却します。

しかし、顕家は奥州帰還を目指したため、顕家通過後に再び鎌倉入りしました。

一方、足利尊氏は九州を出発して京都へ向かいます。

建武3年(1336年)4月年表

4/2足利尊氏、京都へ向けて出発

※一色範氏、仁木義長ら足利一門を九州に残す。
※海路と陸路で
4/16片瀬川の戦い(江ノ島付近)、北畠顕家が斯波家長を蹴散らす

※北畠顕家が奥州を留守にしている間、足利尊氏一門の斯波家長が奥州総大将として奥州を攻略し、東国一帯を支配していた。
※北畠顕家が奥州へ戻る際に、斯波家長は鎌倉で迎撃したが、敗退。鎌倉へ逃亡。
※なおも鎌倉を攻撃され、三浦半島へ逃亡。
※北畠顕家が北上したのを見て、鎌倉に復帰。
北畠顕家
私が留守の間、よくも奥州を荒らしてくれたなっ!
斯波家長
そう簡単に奥州へ戻らせてたまるか、って思ったけど、北畠顕家どのが強すぎる、、

しょうがない、鎌倉退却じゃ、、

北畠顕家
しかしな、鎌倉を統治するほどこちらも余裕があるわけではない。

こちらの邪魔をするのであれば覚悟しておけよ!

斯波家長
むむむ
足利尊氏
それよりみんなで京都に行くよー

一色くん、仁木くんは菊池君がまた暴れたときのために九州に残っておいてねー。

少弐頼尚
かくして私も尊氏さまについていくことになったが、留守の九州が、ちと不安、、
足利直義
兄さん、今度こそ新田義貞を倒しましょう!
足利尊氏
はははー。義貞くんは目じゃないよ。

それより光厳上皇にもらった院宣は効くなー。

どんどん味方が増える。

楠木正成
ううう、天皇さま、ここはまた比叡山にいったん退却して態勢を立て直した方が良いと思いますぞ。
後醍醐天皇
えーい、1年に何度も比叡山に逃げ込んでたまるかった言うんだ。

わしは天皇じゃぞ!

正成、義貞、なんとかせいっ!

楠木正成
尊氏を呼び寄せて和睦を結ぶべきです!
後醍醐天皇
え、お前、さっきから何言ってんの?
楠木正成
諸国の武士が尊氏に味方していることを理解してください!

鎌倉幕府を倒した時のように、あなたに味方してくれる人はいないのです。

というか、鎌倉幕府を倒すことができたのも尊氏のおかげです!

後醍醐天皇
うぬぬ、なかなかの物言いじゃな。

もうよい、とにかく正成は尊氏を迎え撃て!

楠木正成
それは私に死ね!と言っておられるのですね!!

陛下が比叡山に逃げて、尊氏を京都におびき寄せたところで

義貞と私で挟み撃ちすれば勝てる可能性が少しはあるというものの、、、

用兵については私に一任して欲しかった、、(涙)